民主主義故に分裂するものたち

ベルギーの分裂に見る、欧州連合の不安な前途、なお話。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/3773
なかなか明快でわかりやすい記事だと思います。つまるところ、ベルギーが陥っている「分裂の危機」はほぼそのまま欧州連合が直面している危機であると。

 デベーベル氏が使うスローガンを考察してみよう。同氏は、フランドル地方から流出する何十億ユーロもの送金だけを取って不満を述べているわけではない。南部では税務調査官も手緩いと批判している。そしてフランドル地方の高速道路にはスピード違反取り締まり用のレーダー探知機が設置されているのに、南部ワロン地方にはカメラがないとも不満を漏らす。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/3773?page=2

よくある話ではありますよね。ベルギーだけじゃなく、最近のギリシャ支援を渋るドイツ、他にも有名なのはイタリアの南北問題とか、そうした国内の貧富格差を起因とする問題は他にいくらでもある。

税金に対する素朴な願い

彼らフランドル地方の人々が、ある意味で当然の権利として、不満に思っているのは「自分たちの払っている高い税金*1がまともに使われないこと」である。彼ら、というか日本人も含め殆どの人たちは自分が払った税金が「自分やなるべく近くの周囲に」使われることを普通に望んでいる。
ベルギーでいえば北部フランドル地方の人々が(多くを)払った税金はなるべく自分自身やそうでなくともその周囲に使って欲しいと思っているし、ドイツの人々だってギリシャの人々に使うよりもドイツ国内に「自分たちの税金」を使って欲しいと思っている。あるいは日本のODAや思いやり予算を批判する人たちの場合だって根本的には大差はない、彼らは「日本人の払った税金は日本に使うべきだ」と素朴に思っているのだから。
上記の例のように、ここまではよくある話なんです。「自分が払った税金をもっと上手く*2使うべきだ」そんな要求はどこの国にも見られるごく自然なことなんです。

選挙(区)に対する素朴な怒り

だが現在のベルギーやあるいはギリシャ危機でのドイツにとっては、それだけの問題で済まされない。
それは金を払う人々と、金を受け取る人々の選挙(区)が別であるということに起因している。

 ベルギーは欧州にさらなる教訓を与えてくれる。つまり、有権者が富の移転に同意するには、資金の受給者が彼らに対して民主的な責任を負っているということを実感できなければならないということだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/3773?page=3

つまり、ベルギーのフランドル地方の人々やあるいはドイツの人々はそうした事が実感できない。もし自分たちの選挙区内において不合理な使用がされていたら、当然彼らは選挙で是正の声を表明する事ができる。しかしもし受け取る先が別の選挙区だとすれば、一体どうやって抗議する事ができるだろうか?
普段あまりおおっぴらには言いませんけど、私たちの資本主義な社会は「金を払う人が口を出す権利がある」的な考えは、もちろんそれが全てでは無いにしろ、かなりの部分で正しいと思われている。
しかし、ベルギーのフランドル地方の人々やあるいはドイツの人々はそうした事を実感できない。そしてだからこそ彼らは不満に思っている。何故金を出しているのに、(彼らから見れば)「不合理な選択」をしている人々に何ら是正等の口を出せないのかと。


結局今回のベルギーの話もまた同様に、以前の日記でも書いた「政治より先に経済をやろうという教訓」なんですよね。政治的な合意を目指す時、しばしば、その前に経済上の問題が浮上してしまうと。
しかし同時に彼らは単純に「カネ」の問題だけで怒っているわけでは絶対にない。彼らが真に怒っているのは政治的に「口が出せない」事にあるのだから。
じゃあ結局どっちから先にやればいいんでしょうね?

*1:例えばベルギーの消費税が21%だったり

*2:というのは多くの場合で「自分の為に」の同義でもある