かつてあった「融和」という欧州の時代精神の今

人種融和という欧州像は一体どこへいったのか? なお話。


「人種融和の象徴」だった仏代表崩壊、問題は… : A組 : ニュース : ワールドカップ2010 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
今回のワールドカップの大きな事件の一つとして語られる、かもしれない、フランス「人種融和の象徴」だった仏代表崩壊。なんというか、よくある国歌がどうだとか、そういうレベルでさえなくなってしまっているのは他人事ながら大変そうだなぁと。

 「政治とスポーツが作り上げた人種融和の虚構まで崩れ去った」。こう指摘するのは、カーン大学のパトリック・バソール准教授(社会学)だ。

「人種融和の象徴」だった仏代表崩壊、問題は… : A組 : ニュース : ワールドカップ2010 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

挙句こんな事さえもいわれてしまうわけで。しかし虚構て。
それまでの「融和の象徴」だったものが、そのままそっくり「融和できないことの象徴」になってしまったのは、まぁ皮肉な話ではありますよね。

融和の象徴だったベルギーの今

こうした変化は別にサッカーフランス代表だけで見られる話ではない。例えば、同じような事例として、この前の日記で書いたベルギーの分離運動だって同じような皮肉な証明をしてしまっている。


EUNATOの本部がベルギーのブリュッセルにあるのは別に何も考えて無いとか偶然というわけでは勿論ない。
まぁ言ってしまえば、ベルギーのある一帯はヨーロッパの2000年の歴史においてほぼずっとヨーロッパでの主戦場だった。カエサルからナポレオン、ヒトラーに至るまで、ベルギーはずっとヨーロッパ統一を狙う人たちによる戦死者が埋まる場所だった。
そしてだからこそそんな戦場が故にベルギーにはヨーロッパの言語圏の、ラテン語圏とゲルマン語圏の、境界線が存在している。
しかし彼らはそんな言語的な違いを乗り越えて一つの国家としてベルギーを形成している。まさにそれこそ違いを乗り越えて融和するヨーロッパ統合の象徴にふさわしいではないか、と。


で、現在どうなったかといえば、ベルギーの分離運動だったわけだ。
かつて、ベルギーはそんな背景の違いを乗り越えた、融和の成功モデルだったものが、逆に失敗モデルとさえ言われてしまう現状。

無宗教であろうとするが故の衝突

あるいは宗教の問題においてもそんな皮肉な現象は見られる。
ヨーロッパは愛国心というナショナリズムの否定と同様に、かつての宗教戦争の反省から政教分離という概念も重視してきた。宗教による違いを乗り越えてこそ融和はなされると。
まぁ確かにそれは、かなりの部分において、正しいと言えるかもしれない。
しかしそんな思考が、公共の場における宗教的な行為を排除する事が正しいと信じることが、イスラム文化なブルカの禁止*1やモスクの尖塔禁止*2という行為に表れてしまうわけだ。彼らにとっては「中立」を表明する事こそが正しいと信じているから。しかしイスラムの人々にとってはそうではない。
かつて融和の象徴だったものが、まったく逆に、偏狭の象徴としても表れてしまう。

アメリカ精神はどこへ向かうのか

フランスの「人種融和の象徴」だった仏代表崩壊も、あるいは一つのベルギーそして一つのヨーロッパの証明だったベルギーの分離運動も、あるいは宗教戦争を乗り越えたはずの平等も、かつて目指した方向とはまったく逆の結果に陥っている。
一体なんでこんなことになってしまったんだろうか?
それとも単に、今起きているのはわずかな揺り戻しや、乗り越えるべき産みの苦しみでしかないのだろうか?


まぁそれが何故起きているのかと聞かれても、僕にはまるっとお見通しなんてできるはずもありません。
それでも適当に個人的な意見を考えてみると、「アンチアメリカ」としても生まれたヨーロッパの統一の機運の衰退と、そんなアメリカ衰亡論とが一緒に出てくるようになったのは偶然ではないかもしれない、辺りでしょうか。
彼らが「ヨーロッパ合衆国」を目指したのは、もちろん全てではないにしろ、多くの面でアメリカの対抗すべき存在を目指したことが理由の一つであることは間違いないはずだから。アメリカが衰退しつつあると言われる現在「ならば無理してそこを目指さなくてもいいんじゃない?」的に気が抜けてしまうのも無理はないと思うから。
そんな彼らの反アメリカ精神は、アメリカの相対的な衰退と同時に、まぁ満足されてしまったのかもしれない。そしてそれを原動力として進めてきた欧州連合への機運も同様に。