正義にかわっておしおきよ!

代理戦争におけるメタ規範とか道徳的攻撃と呼ばれるもの。何故人は正義に代わってお仕置きするのが大好きなの? なお話。


集団セックス殺人被告の狂った応援団 | アメリカ | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 イタリア中部のペルージャで恋人らと共にルームメートに性的暴行を加え、殺害したとして禁固26年の有罪判決を受けたアメリカ人留学生アマンダ・ノックス(23)。母国にはノックスを支援する人が大勢いるが、彼らが入れ替わり立ち代り声高に無実を主張するのを聞くたびに本人はうんざりしているに違いない。

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『彼女はかわいそうな被害者でありイタリアの司法当局は信用ならない』そして『彼ら支援者たちにはそうした正義を為さねばならない正義がある』このような二点の作用により、しばしば、当事者は置き去りにした不毛な代理戦争の構図が出来上がる。
つまり彼らは「彼女を救うことが正義」なのではなく、「彼女を救おうとしている行為」こそに正義を見出している。彼女を支援しようとする行為ではなく、そうしようと思う意思こそが美しいと。


まぁ実際の所よくある話ではあるのだけれども、結果的に今回の当事者であるノックスさんが有罪であろうと無罪であろうと、その支援者たちに何か直接的な利害関係があるのかというと全く無いわけで。支援者たちは自己利益の為にそうしているわけでは絶対にない。
しかし、故に支援者たちはより熱狂する。
もしそこに何か直接的な利害関係があればそこに合理的で冷静な判断が加わるはずなのに、ここにはそれが無いから。(何かを)守るべき正義を守る為の正義の為に彼らは行動する。
何故かって、(冷静に考えて自分に関係無いと見て見ぬフリをするよりも)そっちの方が自らの良心に誠実であり正直であり、きもちがよくて、そして罪悪感を何も抱かずに済むから。

罪悪感とその先にあるもの

よくネット上でも馬鹿なことをやった人に対して激しい突っ込みが起こりますよね*1、今回の構図はそれに近いものはあると思うんです。
彼らはどちらにしても、幾らかわいそうな女性を支援しようが幾ら馬鹿なブログに突撃しようが、直接的な利害関係があるわけではまったくない。しかしそれでも彼らは正義の為の正義を為そうとする。


こうした状況が示すのは、別に上記ノックスさんの支援者たちやあるいは無邪気に炎上先へ突撃する人たちが特別に正義を為すことが特別に好きだというのではなくて、むしろ正義を為すことによる「安心感」の方がより正解に近い。自分が何か悪事を看過しているのではないかという不安から逃避する為の、自分が正しい事をやっているという安心感。私たちは常に己の内の罪悪感と戦いながら生きているから。*2
彼らは正義の為の正義を追求するという一連の行為によって、より安全でありながらしかも自らの罪悪感を抱かなくて済む、とても素晴らしくきもちのいい行動を見出している。


問題なのは、そんな行動で人が単に幸福になれるなら遠くから生温かく見守っていればいいんだけど、しかしそうした行為は大抵の場合意味が無いどころか居ない方がマシ、という点だろうか。彼らはその利害関係から外れた熱狂故に、しばしば、状況を見誤るから。
彼らは本当に当事者のことを考えてやっているわけではなくて、自らの内の罪悪感を誤魔化す為の自らが正義を為しているという安心感を求めて、意味がなくても「わざわざ」そうした行為に走っている。つまり正義の為の正義を追求していると。
こうしてロバート・アクセルロッドの「メタ規範」や、あるいはロバート・トリヴァースの言う所の「道徳的攻撃」と呼ばれるような構図は完成する。


その意味で引用先にあるような『狂った応援団』はどこにでも居る。

*1:圧倒的大多数の便乗による「炎上」というよりも、ここではむしろ最初期の着火し延焼させようとする行為

*2:×「利他的な人」は嫌われる ○「利他的な人」は理解できない - maukitiの日記