社会秩序を維持する『神の見えざる手』

かくして世界は調和されるのだ。


http://gahalog.2chblog.jp/archives/52179650.html
わークズだー。

少年がゲームしてる

リスナー「割ったんじゃねえのか?」
少年「うん、割ったよ。悪い?www」
リスナー「犯罪じゃねえかww特定してやるよ」
少年「どうぞwどうせできないくせに(ヒントで名前を自分で言う)」
数分後
リスナーに年齢住所その他全部特定されてしまう

http://gahalog.2chblog.jp/archives/52179650.html

うん、まぁ、小学生といえば大抵そんなモノだよね。
毎回こうしたお話を見ていて思うのは、自分の心底バカだった子供時代にインターネットなんてものが無くてほんとうによかったなぁという安堵であります。まず間違いなく、自身の愚行によって、一度は痛い目にあっていただろうから。


正義にかわっておしおきよ! - maukitiの日記
狂った応援団たち - maukitiの日記
スマイリーキクチさんの一件から得られる教訓について - maukitiの日記
さて置き、これまでも何度か日記で書いてきたお話ではあるんですが、こうして突撃し「炎上させる」側について。
もちろんそれをバカにすることは簡単であります。彼らはそのメタ規範や道徳的攻撃の名の下に「不正義を罰しているのだ」と暴走している。その様は端から見ていてあまり美しいものではないのは確かなんですが、しかし、それでも、やっている当人たちはとても楽しいものであるんですよね。だからこそ彼らは手間暇を惜しまずに突撃するのです。「一体何の為にこんなことを?」「楽しいからだ」なんて単純な理屈でしょう。麻薬のような「ざまぁwww」感。故にこうした構図はなくならない。
私たちは他人の不義を責めることに、多かれ少なかれ、快感を覚えるものなのです。
まさに社会的動物たる人間にふさわしい振る舞い。
――全ての不義に鉄槌を。
別に『炎上』は、ネットだけの出来事では決してない。まぁそれが直接対面していては躊躇ってしまうような「明らかな弱者」にまで罪悪感無しに攻撃できるようになったのはこうしてインターネット社会の特徴であるとは言えるかもしれません。そして今回のように小学6年生にまでその攻撃は及ぶことになる。


といっても、いくら当人達が「楽しんで」炎上させていようが、やはり彼らの大義名分でもある「いけないことをやっている奴に教訓を教えているんだ」という点について、それなりに筋は通っているんですよね。おそらく今回の少年はその教訓を学ぶことになる。心底余計なお世話ではありますが、確かに、最低限のモラルを維持していこうと思うのならば、誰かがどこかの点でやらなければいけないことではあるのです。
かくして当人達の「楽しみ」が――まったく本来の意図とは違う所で――その社会における最低限のモラル崩壊防止を担保することになる。悪い子は鬼にお仕置きされちゃうぞー、という躾における比喩がほとんどそのまま起きることになる。それが現実の存在としてあるからこそ、バカげた悪鬼たちに狙われないように自律してやっていこう、なんてネットリテラシーの重要性は説得力を持つことになる。
利己的な振る舞いが、集団利益へ。
この構図はそんな意図せぬ抑止機構である『鬼』についても同じなのです。彼らの暴走もまた、上記のような光景を傍観する私たちによる「また炎上なんてバカなことをやっているなぁ」という冷たく見下した視線が、同じようにその行動の行き過ぎを抑制する。それぞれが個人的嗜好=快楽を追求した結果、最終的に本来意図していないはずの「社会の幸福」が為されることになる。


『神の見えざる手』によって均衡する私たちの社会。
いやぁ愉快なお話でありますよね。