再び機能停止しつつある国際連合安全保障理事会

動け動け動けーとガチャガチャやってもやっぱり動いてくれない国連安保理のお話。


http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20101201-OYT1T00303.htm
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20101201-OYT1T00673.htm
もちろん全ての問題ではないにしても、しかし少なくなくとも北朝鮮の問題においては、国際連合安全保障理事会が機能しない時代を彷彿とさせる様な状況が生まれつつある。

 北朝鮮による韓国・延坪島砲撃事件から11月30日で1週間たったが、攻撃を受けた韓国は、国際の平和と安全を担うはずの国連安全保障理事会に事件を提起していない。
韓国にとっては哨戒艦「天安」沈没事件を巡って安保理が無益、無力だったことの後遺症だが、砲撃は沈没事件と異なり、北朝鮮による攻撃が明白なだけに「安保理不在」が一層、際立つ事態となった。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20101201-OYT1T00303.htm

ということで少し前に起きた韓国の哨戒艦沈没の時も、引用先にあるように「中露の抵抗に遭い、北朝鮮を名指しできない骨抜きの中身」という成果しか出せなかったんだから、ならば今回ははじめから安保理に提起さえしないという韓国の判断はまぁ理解できない話ではありませんよね。そんな問題の提起さえされない安保理の意味ってならば何なんでしょうね。
つまりまぁ殆ど硬直化した米中の対立構造によって事実上「大国一致の原則」は成立する見込みがなく、その機能が働くことはない。そして日本でも一部の人が夢見ていたはずの国連主導という理想は再び後退していくと。
でも、それって冷戦終結以前の状況に戻っただけですよね。つまり「再び」国連安全保障理事会が機能しない時代が訪れつつあると。
少し前から続いている北朝鮮関連のゴタゴタが残したものって、結局そういうことだと思うんですよね。冷戦時代のほぼ全ての期間において米ソの対立構造によってその機能が無力化されていたものが、冷戦後になって少しはマトモになったと思ったら、やっぱり再びかつてのような時代に逆戻りしてしまう。冷戦時代の教訓から何も学んでいない私たち。
コソボ紛争の時やイラク戦争の時の国連安保理の賛成を得られずに「単独行動主義」だと批判されたりした時代を懐かしむ時がもうすぐそばまで来ている。あの頃の「賛否を問えた」ことさえも贅沢で幸せな状況、しかし現在の北朝鮮問題では最早そんな行為さえ遠くなっている、あの頃と同じように。


ほんともうこうした状況になることは半ば予想できていたんだから、安保理改革*1とかもっとさっさとやれば良かったのにね。と、後知恵で偉そうなことを言ってしまいたくなる気持ちも解ります。そう考えると、今にして思えばもし2001年の9.11とか無ければギリギリ間に合ったのかなぁと色々考えると後世の歴史にどんな風に言われるのか面白くもありますけど。
あの時やっておけば現在の余計な苦労が軽減されたはずなのに、しかし問題を先送りにしたばっかりに、その負債は将来より重くなって課題として残されていく。なんだかよくある耳の痛いお話に。