軍事独裁政権の成功とはつまり「緩やかな自殺」のことです

かつて私たち東アジアの人びとが証明してしまったお話。


北朝鮮問題の陰に隠れたアジアのもうひとつの不安スー・チー氏解放後も続くミャンマー軍政の視界不良 | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン

――プライオリティは、民主化ではないということか?

 誤解しないで聞いてほしいのだが、もちろん私は民主化が悪いと言っているのではない。その逆だ。スー・チー氏は、長年にわたって悲惨な歴史を送ってきた国民にとって、風通しを良くしてくれるような新鮮な存在だ。
 しかし、考えてほしい。インドを除けば、ほとんどの東アジア、東南アジア諸国では、まず経済の自由化があって、その後で政治の自由化が起こった。アジアの過去80年の歴史を振り返っても、日本、韓国、台湾、インドネシアなどはみな同じフォーミュラで凄まじい経済発展を実現してきたのだ。特にベトナムや中国は非民主主義的政権下で大きな経済発展を遂げてきた。この事実はミャンマーの今後にとって大いに参考になるはずだ。
 国際社会はなぜ、ことミャンマーについては、政治の民主化を先に実現しなければならないと考えるのか。私にはそこが理解できない。

北朝鮮問題の陰に隠れたアジアのもうひとつの不安スー・チー氏解放後も続くミャンマー軍政の視界不良 | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン

概ねこの方の仰っていることには同意できる。よく国際社会、特に欧米の人びとは口々に「ミャンマー民主化」やそしてその象徴となる「アウン・サン・スー・チーさんの解放」を訴えてきたけども、しかしそれってまぁ無理なお話ですよね。経済よりも先に政治の問題をどうにかしろだなんて。歴史的に見て経済発展よりも先に、政治の民主化を先に成し遂げた国なんてほとんどないんだから。
特に途上国からの経済的発展の成功例と呼ばれている東アジア諸国では、まさにそのパターンが顕著に現れていたわけで。つまり大抵は軍事独裁政権のような所からスタートして、まず経済発展があってそこから政治の民主化への歩みもはじまったというのは、ほとんど公式のパターンとも呼べてしまう。
その意味でミャンマーの軍事政権が真に失敗しているのは、政治の民主化への移行などではなくて、(例え経済制裁を受けているにしても)そこまで経済発展に失敗するのは無能に過ぎると。そしてこのレックス・リーフィール氏は「それが解せない」と言っている。一般に権威主義的な市場志向は、純粋な民主主義よりも優位に働くのもまた証明された事実でもあるはずだからと。


しかしまぁそうしたいわば軍事独裁政権が経済発展を恐れるのは無理もない話ではあります。経済発展の行く末は最終的にはやっぱり自らの命取りにも繋がるというのが歴史的な教訓でもあるから。経済発展の成功は教育の向上に繋がり、国民の中産階級化が進んでいけば、いつか国民は現状の支配体制に不満を抱くようになるのはほとんど確定的に予想できる未来であると。現代における軍事的独裁政権は、成功すれば成功するほど、いつかそうして崩壊する。
そんな緩やかな自殺の道を進みたくないからこそ、ミャンマーはこうした無能な経済政策を採っているとも考えられるけども、しかしだからといってわざと経済発展を拒否する選択もまた明らかに亡国の道ではありますよね。


建前としては経済制裁を受けてはいても、その地政上の理由から中国とインドのパワーゲームの真っ只中なミャンマーはそうした国々によって多くの投資を得ているのもまた事実なわけで。最早そうした経済制裁による圧力はほぼ無意味であるし、だからといって物理的に何かできるわけでも当然ない。
そうするとやっぱり現状のまま「もうちょっとマトモな軍事政権になってください」位しか言えない、というやや後ろ向きな結論にしかまぁ確かになりませんよね。人権大好きとかスーチーさん大好きな人には怒られてしまいそうではありますけど。


といってもそれもまた裏を返せば「緩やかに自殺してね♪」というメッセージではあるんだけど。