「大いなる幻想」の二番底

歴史の転換点、パワーの移譲期間、と呼ばれる時期に生まれる悲観論のお話。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5095

 今、希望は転移している。米国の非営利調査機関ピュー・リサーチ・センターによれば、自国が正しい方向に進んでいると考える国民の割合は、中国が87%、ブラジルが50%、インドが45%となっているのに対して、英国では31%、米国は30%、フランスは26%にとどまっている。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5095

欧米の悲観論、ってまぁ確かに最近の欧州各地で頻発しているデモなどの動きを見ると解らなくもないんですけど、しかしそれって初めてのことでもないし珍しいものでもないんですよね。かつて欧州はもっと壮大な「大いなる幻想」を抱きそれが裏切られた経験があるのだから。
以前の日記*1でも言及したように、かつて興った欧州の悲観論の始まりは、第一次大戦前までにあったノーマン・エンジェルに代表されるような「悠久の平和」という幻想が二度の世界大戦によって見事に崩壊したことにあるわけで。「我々は最早野蛮人などではないのだから戦争やその他の残虐な行為に走ることも最早ない」と。
で、それは戦争が起こらないどころか、それまでに無かったほどの残虐な行為、若者の命がゴミのように消えた塹壕戦やホロコーストや生物・化学兵器核兵器をも生み出してしまった。「我々はかつての野蛮な世界から進化するどころか、より酷くなっていっているのではないか?」という人間の本質についての楽観論から悲観論への最初の転回。


で、その二度目はというと欧米の経済的・国際関係的なポジションへの「幻想」も失われつつあると。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5094

我々は今、歴史が曲がり角を迎えた時代を生きている。多極的な世界の到来は昔から予想されていたが、常に地平線の彼方にあるように思えた。
それが今、突如として、現在に向かって突進してきた。2世紀に及ぶ西側の覇権は、多くの人が想像したよりも早く終わりに近づいている。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5094

欧州はそうした長期的衰退への歩みを食い止める為に欧州連合という大きな目標を立てそれに向かって努力していたわけだけども、最近になってついにユーロという通貨システムの限界が露呈してしまった。そしてユーロの失敗から生まれてしまうのはやっぱり悲観論であると。アメリカでも、オバマ大統領の唱える変化に熱狂し期待し過ぎた結果が失望であったと。そんな両者の似たような展開。
かつての「大いなる幻想」からの悲観論は、広義的な意味での人類社会に対する絶望だったわけだけど、次はもっと直接的に自らの社会に対する悲観論が広まりつつある。折角1914年の時のショックから立ち直ってきたのに、やっぱり次の悲観論が待っていた。
まぁそれって欧米さんちの「悲観論の二番底」という感じですよね。果たして三番底はあるのか。