それってつまりその後に「だからどうしようもない」と続くことになる。それが単純に逃避や保身だったらまぁ笑うだけで済むんだけども、しかしそれが正解だった場合って実は笑えませんよね、なお話。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1593931.html
バングラデシュのティーンエイジャー、ヘナ・ビガムさんが姦淫の罪に問われ、80回のムチ打ちの刑に処された。
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伝えられたところによるとバングラデシュの14才の少女、ヘナ・ビガムさんが40歳のいとこの男性からレイプされ、公開ムチ打ちの刑に処された後、死亡した。
この少女は日曜日に既婚者である彼女のいとこからレイプされ、その後そのいとこの男性から姦淫の罪で責められた。彼の家族は憤り彼女に殴るなどの暴行を加えた後、村の仲裁人がイスラム法に則り彼女にムチ打ち100回の刑を宣告した。
うわー、ひどい話だー、おわり。
さて置き、結局の所、この悲劇の構図において誰が・そして何が一番悪かったのか?
- レイプされた被害者である彼女、あるいはその家族
- 「何故彼らはそもそも拒否するor逃げ出そうとしなかったのか?」
- 二点指摘できる。一点はそもそも、彼らはその状況に何ら疑問を抱いていなかったのではないか、という点。一般的に近代的精神というものは「もし○○だったら〜」と想像し相対化することであり、逆に伝統的精神では初めからその発想に至ることがない。彼らが実際にどうだったかはわかりません。
- こうした孤立した社会統制下において、しばしば見られるのが「逃走=反抗」であると見なされる点。そこから逃げ出すということはつまり、彼らの社会への反抗を積極的に表明するのとあまり変わらない。何もかも拒否するor捨てて逃げ出せばいい、というのと、そのシステムに反抗すればいい、という両者にはかなりの隔たりがある。しかし実際には逃走することがそのまま反抗と見なされてしまう、こうした心理的ハードルは大きい。
- レイプした加害者
- 爆発しろ。
- イスラム法に則った仲裁人
- 結局の所彼らもまたシステムの奴隷であるとは言える。権威的な階層による期待や、あるいは伝統的な社会統制を拒否できないという点において上記被害者たちとどれだけ違うのかというと微妙な所。むしろ選択の余地がないという点では彼らの方がよほど狭い。
- こうした状況を看過する彼らの社会構造
一般に私たちが「社会が悪い」と言ってしかし同時にそれが批判されてしまうのは、究極的には私たちがその社会から逃げ出せばいい、という最終手段が確保されているからである。しかし彼らのような伝統的な社会において、真に悲劇なのは、そうした究極的な逃走という手段が使えない点にあると思うんですよね。彼らはその逸脱行為に対して簡単に鞭打ちのような手段をもって望む。そのあまりにも簡単に用いられる制裁は結果的に彼らの最終手段をも奪っていくと。
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*1:19~20世紀のフランスの社会学者。エミール・デュルケーム - Wikipedia