それでも「無限の安全性」を求める彼ら

一昨日の日記書いてて考えたお話。昨日の最終話祭りで一日ずれました。


まだまだ「小数の法則」から抜け出せない私たち - maukitiの日記
ということで上述のような、リスクと安全性の話題において、しばしば、その一方を揶揄する発言として「100%完璧な安全性など不可能である(故にそんなことを求める貴方たちは馬鹿だ)」なんてものが見られるわけです。でもそれって微妙に間違っていると思うんですよね。
より正確に言うならば、彼らが求めているのは「完璧」なものではなくて、「無限」の安全性ではないのかと。
実際の所彼らが求めているのはその100%なんかじゃなくて、99%であり99.9%であり99.99%であり99.999%であり99.9999%であり99.99999%である。こうして私たち人間の持つ『無限の欲望』そのままに、無限に安全性を求めていく。決して100%には届かない。無限にコンマ以下の数字を増大させていく。
それってなんとも不毛で悲しいお話ですよね。まぁ「完璧」だろうが「無限」だろうが、両者の結論には大して違いはないのだけども。


さて置き、といっても普段の私たちはごく当たり前にそんな『無限の欲望』を飼いならしてもいるわけで。
つまり私たち人間の持つ欲望が幾ら無限であるとしても、誰もが無制限にその欲望を現実社会においても追求しているわけではない。そりゃそうですよね。幾らそう願ったところで、「無限」のものなど現実には何一つ存在しないのだから。それはエネルギーにおいても、資源においても、資金においても。何もかも有限の世界に生きる私たちはいつだって何かの為に何かを諦めている。
誰だってトレードオフすることこそが本質であると経験的に知っている。


それは安全性だって例外じゃない。
個人的には別に「無限の安全性」を求めたって構わないんです。無限にコンマ以下の数字を増やしていこうとする行為に、意味があるかはさて置き、まぁそれ自体はその人の自由な選択なのだから。本人たちの好きなようにやればよろしいと思います。
でも重要なのは、何かを追求することは、同時に代わりの何かを犠牲にしていくことでもあるんですよね。
そして更に重要なのは、その無限を求めれば求めるほど、同じ対価で得られるものは遁減していくことでもある。
少し前に見事最終回を迎えた某錬金術師のお話での有名なセリフあるじゃないですか「等価交換だ!」なんてやつ。でも現実にはそうでもないんですよね。それは数字が極大or極小に近づけば近づくほど、一単位辺りのリターンは小さくなっていく。また同時に最も「効率的に」等価交換が達成される点だって存在している。現実は全然等価交換じゃありませんよね。
いつか収穫は遁減されていく。まるでアキレスと亀のように。あるいは相対性理論下で光速を目指す試みのように。


こうしたことを解った上でやるならば、やっぱり「無限の安全性」を望むなり好きにやればよろしいと思うんです。まぁそれは死ぬほど茨の道なんですけど。
そんな茨の道で厳しい道程である理由にイデオロギーとか利権とかの問題を挙げる人がいらっしゃいますけど、でもそうではないんですよね。それは単純に「効率的でない」からこそ反発されるのだから。