ピーキー過ぎて私たちには扱えない

直接民主制という幻想、のお話。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5933
ばっさりなお話ではありますよね。まぁ実際の所これまでの歴史においても「民主主義的手法への批判」という命題について語られる時、大抵の場合、そんないわゆる『衆愚』な直接民主制の失敗した歴史・可能性が叫ばれてきたわけで。


そんな上記カリフォルニアを一つのアメリカでの教訓とするならば、ヨーロッパの教訓の一つが「反移民」な流れでもあります。
モスクの尖塔建設禁止めぐる国民投票、賛成が上回る スイス 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
以前のうちの日記*1でも少し触れましたけど、スイスのモスク尖塔建設禁止のあれだって右派主導によって行なわれた『国民投票』によって民主的に決まったわけであります。でもおそらくそれはスイスだけが特別にひどいわけじゃない。もし他の国にも同じ様な制度があったら似たような結果が出たんじゃないのかと。


それは多数派の(傲慢な)無関心さと、少数の人びとの(傲慢な)必死さによって導かれる。
民主主義の下での少数派の勝利 - maukitiの日記
直接ではない間接民主制でさえもしばしばこうした状況が起こり得る。『直接民主制』って人びとの声が反映されやすいというメリットがあるのと同じ位に、それに失敗する可能性も一緒に高くなっていることを忘れてはいけないんですよね。私たちは常に最善の選択肢を冷静に選べるわけなどないのだから。故に僕のポジションとしても一貫としてそんなものに懐疑的な所にあるわけですが、その気持ちを表現するのに某映画の有名な言葉を借りれば、
ピーキー過ぎてお前にゃ無理だよ」と。
まったくその通りだと思います。直接民主制なんて現在の私たちには運用しきれないんじゃないのかと。


といってもまぁこんなことはやっぱり今更な議論なわけではあります。その道で有名なカール・シュミット先生*2も仰っていました。

〜独裁的およびシーザー主義的方法は、人民の喝采によって支持されるのみならず、民主主義的実質および力の直接的表現であり得るのである*3

「人民の喝采」という「民意」があるのならばそこに大した違いなどないのだと。シュミット先生それはちょっと身も蓋もなさすぎます。