なぜ欧州は狭量さを示すようになったのか?

最近の欧州さんちの家庭の事情のお話。


フィンランド総選挙、民族主義政党が大躍進 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
フィンランド総選挙:欧州懐疑派が躍進−高債務国の救済に影響も(1) - Bloomberg.co.jp
以前日記*1でも触れたお話である、フィンランドやあるいはスウェーデンなどの極右政党の伸張や、フランスやオランダやベルギーなどの反移民や地域対立の炎上などなど。それを「変調」というか「回帰」と呼ぶかはそれぞれ各人のポジションに拠るので好きにすればいいと思うんですけども、しかしやっぱり欧州の空気がそれまでとは微妙に変化しつつあるのは多くの人が同意するんじゃないでしょうか。
特にフランスは某ブルカのアレ*2や、ジプシーのアレ*3、あるいはチュニジア難民閉め出し*4等々、特に先鋭化している印象があります。最近話題になったお話で言えば、サッカーフランス代表の「人種枠設定」*5とか。


さて、その賛否はともかくとして、そうした欧州全体を覆いつつある「反融和な空気」は一体どこに原因が求められるのだろうか?


と考えてみれば、何故彼らの狭量さが目立つようになってきてしまったのかって、そりゃ彼らに『金』の余裕がなくなってきてしまったからだと思うんです。そんな人類に普遍的な原因。まぁ結局いつもの「政治より経済を優先させる」という教訓に行き着くわけで。
上記のフィンランドのような反・欧州連合な政党が勢力を増すのは、ギリシャアイルランドポルトガルを救済する為の金を彼ら他の国が出すことになることが許せないから。自分たちが収めたはずの税金が、遠くの知らない国の為に使われている現状に同意できない。今回の欧州の債務危機においてドイツなどがほとんど一貫して主張してきたポジション。
それは別に不当な怒りというわけでは全然ないですよね。私たちにだって当然ある「税金の正しい使い方を要求する」ポジション。それは余裕のある時よりも、余裕のない時の方が当然強くなる。


欧州の連鎖的な経済危機によって、そうした感情がより強くなるのは避けられるわけがない。いつだって経済危機は政治危機よりも優先する課題なのだから。
つまり私たちの政策順位とは『緊急問題はいつだって重要問題よりも優先する』のであります。
人権や民主主義は経済危機の問題の前に吹き飛ばされるし、また経済危機の問題は国家の安全保障の危機に吹き飛ばされてしまう。最近の日本の原発議論だってそうですよね。より重要なエネルギー安全保障なんかよりも、よりもっと直近の問題である「原子力発電の安全性」というものの議論が優先されている現状。


ということでそんな最近の一部欧州さんちの狭量さを見て、彼ら自身のイデオロギーの変化という「欧州が民族主義国家主義に回帰している!」と批判するのは微妙に間違っていると思うんです。
彼らは単に変わってしまったんではないんです。より正確に言うのならば、彼らには人権や民主主義や欧州統合という「重要な目標」よりももっと「緊急の問題」を抱えることになってしまった。連鎖的な欧州債務危機という、自分たちの経済問題を。
ただ彼らはそれどころじゃなくなってしまっただけ、でしかない。