私たちは過去の愚行に支配されている

死者は生者よりも強い、なお話。


600年の時を超えた憎悪 - himaginary’s diary

即ち、1920年代にユダヤ人への迫害が行われた19の町のうち、18は14世紀にユダヤ人への迫害(黒死病の原因との疑いを掛けて虐殺)が記録された町であった。14世紀に迫害が無かった町で迫害を受ける確率は1/79(1.3%)だったのに対し、14世紀に迫害があった町で迫害を受ける確率は18/214(8.4%)と6倍以上に跳ね上がった、と著者たち(Nico Voigtländer、Hans-Joachim Voth)は述べている。

600年の時を超えた憎悪 - himaginary’s diary

ありそうなお話ではありますよね。社会学の再証明というべきか、こうして統計的にデータとして証明されてしまうというのは面白いお話ではあります。
つまり、私たちは過去から連綿と続く行為に対して、善行であろうが愚行であろうが関係なく、それが長く続けば続くほどほとんど無条件に信仰と確信を強めていく。


現実に私たちには様々な選択肢(exユダヤ人を迫害するか、迫害しないか)という「自由意志」を確かに持っているんだけれども、しかしそれは過去から続く強制力が働いていないことを意味しない。むしろ、私たち本人が「自由意志」で選んだと思っている結果こそが、実は昔から続く習慣や文化によって誘導されている事がある。私たちの倫理観や常識や社会通念などによって。そして多くの場合で、そのことに本人は気付いていない、と。
アルノルト・ゲーレン*1によれば、それこそが私たち人間を導いてきた調整機関『制度』だと仰っているわけです。そしてその特徴に、本来は必然的な命令では決してないにも関わらず、私たちはそれこそが「選択された結果である」と思い込ませてしまう点があると。
それは私たち人間が動物でなくなることによって(生物的な強さと引き換えに)獲得した知恵の一つであると同時に、また「過去の愚行を繰り返してしまう」悪癖の一つでもあるんですよね。
こうしてフォントネルの名言が証明されてしまう、つまり「死者は生者よりも強い」と。