現代のアリとキリギリスたち

別に「ウサギとカメ」でも問題ないです。


内モンゴル自治区、デモ拡大恐れ警戒強化 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
ということで所謂『アラブの春』の飛び火がこうして中国にまで広がったそうで。しかしまぁ多分何事もなかったように鎮圧するんだろうなぁというのが大方の見方でもありまして。実際その通りなんでしょうけど。だからなんというか全然(良かれ悪しかれ)何か変わるだろうというワクワク感がありませんよね。なんかもう既定路線を見ている感がすごい。

 AFP特派員や人権団体によると、自治区内の複数の都市で大学や公共広場が封鎖されている。中東各地の反体制デモをまねて全国規模の抗議行動を起こそうという呼び掛けがインターネット上で飛び交っていることに神経を尖らせている当局が、いっそう警戒を強めている証拠だろう。

内モンゴル自治区、デモ拡大恐れ警戒強化 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

さて置き、ここで重要なのは「飛び火」したのが反政府運動の側の手法だけではないということなんですよね。つまり彼らの反対に立つ、鎮圧する側の論理、もそれは同じ位に広まり、そして更には進化さえしていっている。
それはチュニジアからエジプトやリビアや中東各国へと広がっていった権力者たちの防衛反応でありまして。最初期にあったチュニジアがまぁ概ね上手くいったのに対して、エジプトやリビアを見れば解るようにそれは後になれば後になるほど、政権側は段々とその抑止方法のノウハウを蓄積していっているわけでもあると。


この構図において、どちらがアリで、どちらがキリギリスだったかと言えば、まぁ一目瞭然ですよね。
キリギリスたる「怒れる市民」たちは確かに大体において正当であるのは間違いない。彼らは現実に抑圧され弾圧されてきたわけだから。だからこそその行動は(当然全てではないにしても)それなりに賛成や支持を集めているわけで。しかし彼らは、その正しさ故に、怠けてしまうんですよね。最初の頃には通用していた手法が段々と通用しなくなっていっているにも関わらず、しかし彼らはその正当さ故に対抗する術を持たない。悲しいお話です。
逆にアリたる「政府」側はそれはもう戦々恐々と前例を眺めていたんでしょう。次は自分の番かもしれないと。故に彼らは必死になってその回避手段を模索する。その飽くなき意思こそが、ついには情勢を逆転させた。確かにそれはある種の『働き者』の勝利じゃないかと思うわけです。


今回の中国政府と内モンゴルの抗議者たちも、やっぱり構図的には同じ様なものなのかなぁと。中国政府はこれまでに得た知見をフルに活用して、今回の抗議活動を押さえ込もうとしている。
そして抗議者たちは、その「前例と同様の正しさ」を追求する故に、失敗することになる。
もうその穴は『働き者』な人びとによって塞がれてしまったというのに。