『反原発』という象徴がもたらすもの

べ、べつに是非について述べているわけじゃないんだからねっ! 日記。


「自民は人間の感覚から遠い」福島党首 - 社会ニュース : nikkansports.com
ということでまぁいつもの彼女の「バカだなぁ」という感想で終わる話ではあるんですけども、しかしこの発言ってなかなか面白いことを示唆していると思うんですよね。

 社民党福島瑞穂党首は15日の党会合で、自民党石原伸晃幹事長が原発再開をめぐるイタリアの国民投票で反原発派が勝利したことを「集団ヒステリー状態」と指摘したことについて、「『命を大事にしたい』という生身の人間の感覚からほど遠い」と批判した。

 同時に「自民党原発を推進してきた結果、福島第1原発事故が起きた。世界の人々の気持ちが全く分かっていない(原発)利権の政党だ」と非難した。

http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20110615-790816.html

つまり彼女は「反原発にコミットしないのは、人間として間違っている」と仰っているわけであります。ここまではっきり言うとスガスガしいです。
この構図って例えば愛国バカな人が「国旗国歌に敬意を払わないなんて日本人として間違っている」とほとんど同義なんじゃないかなぁと。

象徴を操る動物たち*1

共同体的効果の二面性について - maukitiの日記
以前も触れたお話ではありますけど、私たちは何らかの『象徴』に共通意識としてコミットすることによって、確かに連帯感や一体感を得ることができるんです。それは例えば十字架や歴史的建造物などの宗教的象徴や民族的象徴、あるいは国家の象徴である国旗や国歌のように。


また逆に、ネガティブな意味としての「不吉」や「不幸」や「死」というものの象徴(例えば特定の病気や行為)に共通意識としてコミットする(忌み嫌う)ことによっても、そうした連帯感や一体感を得ることができるんです。現代においても発展途上国なんかで迷信や呪術的な差別がまかり通っている*2のも、そういう理由があるからなわけで。
そうした共同体効果のもう一つの面であるコミットしない人に対する排他機能だけでなく、スーザン・ソンタグ*3も述べていたように、私たちがネガティブな象徴に対してコミットすることは同時にその恐怖心を必要以上に煽り立て社会的抑圧や排除にまで繋がることになる、ことさえあるのだと*4



翻って今回の福島さんの発言「〜生身の人間の感覚からほど遠い」を見ると、正しく『象徴』がもたらす共同体効果の二面性が発露しているなぁと思うんです。
私たちは確かに「反原発」という旗印の下に、多くの人と連帯感・一体感を共有することができる。それは日本人の間だけでなく、ドイツやイタリアの人びとにまで広がりをもつ国際的な機運です。しかし忘れてはならないのは、国旗国歌の問題が証明しているように、強力な『統合形成機能』を持つそれは同時にまた強力な『排他機能』を持つことになるわけであります。


それにコミットしないなんて日本人ではない、と。
それにコミットしないなんて人間ではない、と。

*1:「“シンボリック・アニマル(象徴を操る動物)”として人間をとらえ、動物が本能や直接的な感覚認識や知覚によって世界を受け取るのに対して人間は意味を持つシンボル体系を作り、世界に関わっていく」というカッシーラーの哲学。エルンスト・カッシーラー - Wikipedia

*2:栄養失調児が700万人のナイジェリア、最大の要因は「迷信」 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News「魔女狩り」被害に遭う下層民の女性たち、ネパール 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News

*3:アメリカを代表するリベラル派の知識人スーザン・ソンタグ - Wikipedia

*4:そんな馬鹿なこと、と私たちは笑うかもしれませんけど、少し前に福島の避難した住民が宿泊拒否されたりしたように、私たちだって彼らと同じ場所に立っているんですよね。