初音ミクさんを宗教現象学から見る

まぁそれこそ数年前から言われていた話ではあります。初音ミクさんの宗教性。先日書いたAKB48さんのそれよりも、しかし初音ミクさんを取り巻く状況のほうが、ずっと正しく宗教ですよね。なお話。


http://www.asahi.com/culture/update/0703/TKY201107030201.html
http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/048/48120/
「米ロサンゼルス 初音ミク コンサート」が感動の大成功!! 新たな伝説の誕生へ:ニュー速VIPブログ(`・ω・´)
日本でやった時も思ったんですけど、こうしてきちんと準備された上での『祭』として行なわれると、某ニコニコで見るだけでは特に興味も湧かない僕のような人にとっても、やっぱり何か訴えるものはあるなぁと。


つまり、本来現実には存在しないはずのミクさんを、あの透過スクリーンと「生」の演奏を組み合わせる事で、体験可能な擬似現実として再現しているわけです。故にあのライブを見ると、ミクさんを何か意味のある「聖なるもの*1」であるというファンの皆さんが仰る主張にかなりの部分まで同意してしまいそうになるんじゃないかと。
ここで重要な機能を果たしているのは、参加者たちをただの傍観者や観覧者とするのではなくて、まさに正しくその祭・儀式の『参加者』と感じさせる点にあるんです。
本来現実に存在しないはずのミクさんを舞台装置を用いることによって再現させ、それを目の当たりにした人は、傍観者ではなくてある種の奇跡に立ち会った参加者として、より大きなインパクトを受けるわけです。その意味で、ただのアイドルのコンサートという以上の意味がそこには付与されている。
単に外から「劇を見ている」というだけではなく、『劇中劇』の参加者としてそこに居るのだと。


こうした現象って宗教的行為としての儀礼そのまんまなんですよね。
例えばキリスト教に普段ほとんど興味がない人であっても、しかし荘厳な礼拝や聖歌を見学した場合に、私たちは少なからず彼らの信じる「聖なるもの」の存在を意識してしまうように。既存の諸宗教で見られる多くの宗教儀礼はまさにそうした意図のもとに為されているわけであります。そこでは参加者たちが文字通り参加者として、語り継がれる神話を単に伝聞するだけでなく再演し、そこに参与しているからこそ。


翻ってミクさんのコンサートもこうした宗教儀礼と同じく、『参加者』としての機能が強く出ている故に、よりうけているんじゃないかなと。そこではただの客なのではなく、特別に為された奇跡の証言者・目撃者としてそこに立っていると感じてしまう。
主催者や運営の人にこれを狙っているのかどうかは解りませんが、その意味でミクさんのコンサートってすごくよくできてると思うわけです。


なんか長くなりすぎたので以下またいつか。

*1:広義の信仰対象。一般には単純に「神様」と呼ばれるものの、しかし厳密には私たちの信仰対象は多種多様な形態を持っているんです。というレーウさんの定義Gerard van der Leeuw - Wikipedia