遠すぎた宗派共存

こんなはずじゃなかったのにね。


イラク各地で爆弾攻撃や銃撃、49人死亡 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
ということで最近ではシリアさんちばかりが注目されるものの、その先駆者といえば、ここ数年来ずっと深刻な宗派対立に悩まされるイラクさんちであります。

【11月21日 AFP】 イラク20日、首都バグダッド(Baghdad)のイスラム教シーア(Shiite)派が多数を占める地区での自動車爆弾攻撃などが相次ぎ、計49人が死亡、100人以上が負傷した。

 総選挙を4月に控えるイラクでは、流血の抗争が長期化し、2008年以来最多の死者を出す事態になっており、イラク当局は国際援助の訴えを余儀なくされている。

イラク各地で爆弾攻撃や銃撃、49人死亡 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News

益々攻撃が宗派的な意味を帯びるようになった彼ら。
レバノン、壊される宗派共存の知恵 | 酒井啓子 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
の辺りでも述べられておりますけども、まぁなんというか、昨今のアラブ世界の混沌はやっぱり先駆者としてのイラクの存在が大きいよなぁと。

この種の、相手宗派の記念となるような時期、儀式を狙って攻撃する手法は、イラク戦争以降のイラクでよく見た。戦後シーア派の諸宗教行事が解禁となると、まさにイマームフセインの墓廟のある聖地カルバラーは恰好のターゲットとなり、2004年戦後初めての行事で爆破されて170人以上が死亡した。その後毎年のように、アーシューラーとアルバイーン(フセイン殉教の四十日後の喪明けの儀礼)では、全国から集まるシーア派信徒を狙った攻撃が発生する。

 イラク人たちは、武装勢力の挑発に乗らないように自制し続けたが、2006年2月、同じくシーア派聖地のサマッラーの聖廟が爆破されて、自制のタガが飛んだ。以降、無差別の宗派紛争が激化し、毎月3000人近い死者が出、国民の1割が国外に逃れる内戦に突入したのだ。

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ただそもそも論でいけば、イラク国内で南部を中心にあったシーア派というのは、21世紀後半以降――現代世界における宗教弾圧ランキングにおいて、それはまぁトップランカーを走っていた人々だったわけであります。イラクにおける多数派。故にサダムさんから殺されまくってきた人々。特にお隣でイラン革命が成功し、続くイイ戦争以来その構図は顕著となっていった。
そんな中で、独裁者たるサダムさんは反乱があれば徹底的に弾圧し、一方でイラクという国家のナショナリズムを煽るためにシーア派にも(多少は)懐柔策を用意したりと、どうにかこうにか硬軟のバランスを取ってきたわけであります。サダムさんの恐怖支配によって覆い隠されてきたもの。それは端的に言って「敵の敵は味方」であり「サダム憎し」の思いこそが結果的にイラクにおける両宗派の対立を抑制してきたのでした。


さて、そんなイラクにおける宗派対立はイラク戦争以降の数年間、それでもすぐに大爆発することはなかったわけです。もちろんそれは新しいイラク国家という希望と、そして身も蓋もなくアメリカのイラク占領政策の「失敗」によって。
――独裁者を倒した後に、それと同じくらい住民感情を無視する占領者がやってきた。
まぁこの辺り、単純にアメリカの無能だと言い切ってしまうのもあんまりフェアではないとも思うんですよね。もちろん彼らが現地の宗教的部族的な勢力バランスに(文字通り)「死ぬほど無知」であったことは事実なんでしょうけども、そもそもアメリカの介入を望むイラク亡命知識人たちは敢えてその危険性を過少に報告してきたわけだし。更には、もちろん本音はあったものの少なくとも建前としては『公正さ』を自称するアメリカにとって、スンニ派にもシーア派にも、どちらか一方に肩入れするわけにはいかなかったわけで。
かくしてアメリカはどちらとも強力な友好関係を築かなかった故に、結果として誰もを敵にまわすことになった。クルド人とはどうにか中立的ポジションを維持できたものの、しかしスンニ派シーア派のどちらも、人口の80%を見事に敵に回したアメリカ。宿敵であったスンニ派シーア派の「対アメリカ」という大同盟。2004年4月にはそんな両者による双子の反乱が起きてしまう。心底皮肉なお話ではありますが、そんなアメリカの無能っぷりこそ、サダム打倒以後当初の宗派対立を抑制したのでありました。
植民地支配が真に恐ろしい理由 - maukitiの日記
以前の日記でも書いたように、その是非や長期的効用は無視するとして、敵対する占領地を支配するの為の最適戦略というのは、それはもう身も蓋もなく「一部の勢力を徹底的に依怙贔屓することで、現地の不満をその支配者集団に向かわせる」ということなんですよね。それはまぁ実際の歴史が証明しているように、悪魔のように上手く機能するやり方であったわけです。
でもやっぱり現代の私たちが「そんな効率のいい」ことできるわけない。約束された失敗。


ともあれ、そんなアメリカの存在感が薄れるにつれて、そしてペトレイアス将軍のCOIN戦略=治安建て直しの成功に伴っての出口戦略が鮮明になっていく中で、ついにイラクでは『決勝戦』を迎えるようになってしまうのでした。いったい誰が新生イラクの支配者となるのか。復活する宗派対立。流入する、しばしば現地の暮らしなどどうなってもいいと考える、他国からの『援軍』。
そしてその宗派対立の構図を完成させた最後のピースが、圧倒的多数派たるシーア派のほぼ確実な勝利という、民主主義によって。
だったら銃を取るしかないじゃない。