『極端な善意に走る人びと』へ送る言葉

少し前に話題となった菅首相献金していたとされる『市民の会』ってのを聞いて思い出したお話。


個人的にはその話を聞いたとき「ああなるほど」って思ったんです。それは彼の反日云々というよりも、やっぱり『新左翼』な人だったんだなぁと。しかし2011年になってまで新左翼とか。あれが流行ったのって1960年代の話で、今となってはもう50年も昔の話ですよ。今更そんなもの持ち出されても困っちゃいますよね。
そんな新左翼な人びとの思想の特徴はその「革命的な」改革、と書くと言葉が悪いのでもうちょっと中立的に書くと「大胆で」「急進的な」改革にあるわけです。まぁ勿論暴力を用いるのは論外なのでさて置くとして。
そう考えると彼のあの革命的な『脱原発』宣言も、伊達や酔狂で言い出したことではないんだなぁと少し暗い気持ちになってしまいます。こんな事知りたくなかった。それならまだポピュリストの方がマシだったのに。



ともあれ、そんな『極端な善意に走る人びと』に対する教訓として、それこそ共産主義国家の失敗が明らかになった1930年代からもうずっと同じ事が言われているんですよね。右の側からだけでなく既存左翼な人びとからさえも批判されていた「偉大なる社会計画」への疑念。
つまりそれは、社会改造の限界、という所に行き着くわけであります。
大胆なまでに社会正義を求めていけばかえって社会は悪い状態に陥ってしまう。なぜならその為に必要な大規模な国家介入が、それまであった有形無形な社会の構造までも破壊し、思いもよらぬ結果をもたらしてしまうから。彼らはそんな素晴らしき「価値ある到達点」を目指すあまりに、政治的意思こそすべてである、という誤った認識・落とし穴に嵌ってしまうのだと。



結局の所、日本ではあの頃の新左翼の人たちが馬鹿みたいに内ゲバに走ったせいで、きちんと清算されることなく今まで延命し続けてしまった故の悲劇、辺りなんでしょうか。どうせなら他の国のように一定の役割を果たした上で、きっちりあの頃にトドメを刺されていればよかったのに。いやまぁオバマさんもそっち系って言われていて、いま見事に大胆な社会改造と大規模な社会混乱を実現しちゃっていますけど。そういえばドイツさんちの某緑の党もそっち系ですよね。そりゃ日本と一緒で「価値ある到達点」「偉大なる社会計画」な脱原発に一気に走っちゃうよなぁという感じです。
ニューレフトこわい。