これは国連にとっては小さな一歩だが云々

しかし一つの世界連邦を夢見る人たちにとっての偉大な飛躍となるかもしれないお話。


PKO、武力行使も容認…安保理議長声明採択へ : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

【ニューヨーク=柳沢亨之】国連安全保障理事会が26日、平和維持活動(PKO)に関する会合を開き、紛争当事者に対する原則として、不介入を意味する「中立」でなく、武力行使も容認される「公平」を掲げる議長声明を全会一致で採択することがわかった。 「中立」を前提とする日本のPKO5原則の見直し論議への影響も予想される。

PKO、武力行使も容認…安保理議長声明採択へ : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

もちろん内政不干渉な立場を特に重視するロシアや中国にとっては、現在問題になっているシリア等に対する路線変更があるわけではないんでしょう。そんな「総論賛成各論反対」なポジションでしかないのだと。だからこれで何かが急に変化をもたらすわけでは決してないんだろうけど、しかしそれでも、実効性のある実際的な『国連』に向けての小さいながらも偉大な一歩ではないかと思うんですよね。
ようやく事実上の機能不全に近い「中立」状態から、一歩踏み出せる時期がきたのかなぁと。


そういえば今回のお話を受けて、二ヶ月前の国連事務総長のお話を思い出しました。
asahi.com(朝日新聞社):「PKO活動、常に中立あり得ぬ」 国連事務総長が発言 - 国際
今にして思えば「ああこれってフラグだったんだ」と解りますよね。いやぁまさかこんな展開に繋がるとはまったく思いませんでしたよ。僕のバカ! 
その時にこの日記*1でも書いたんですけど、その意味でようやく本来目指した国連の姿、ただ勢力均衡ではなく「基本的人権と人間の尊厳及び価値」を守ることが建前よりもう少しだけマシな形で前面に出すことができるようになるんじゃないでしょうか。おめでとうウィルソン主義な人たち。
そして同時に、私たち日本は「中立なPKO」と「平和憲法」との間にある、論理的な整合性を無理して辻褄を合わせてきたツケをこれから払うことになるのでしょう。がんばれ日本の外交政策を考える人たち。


しかしまぁぶっちゃければ、こんなことは冷戦が終わった1990年代からやっておけよ、というお話ではあるんですよね。
本来ならもうその頃から議論されていてもおかしくなかったのに、当時ダラダラと引き延ばされた挙句『9・11』以降のアメリカのごたごたに巻き込まれ放置され続け、ようやく2011年の今になって最初の一歩を印す事が出来た。個人的に、あのテロと一連のアメリカの戦争で失われたものの一つ、にこうしたものがあると思うんですよね。
つまり国連改革にとっての『失われた十年』。
あの頃ならロシアも中国も今ほど強力ではなかった故に、もう少し上手く事を進められたはずなのに。しかし『9・11』によって何もかもそれどころではなくなってしまった。その点において、いやぁマジでビンラディン余計なことしてくれやがったなぁと。


ということで、過激な国連中心主義とかは正直バカみたいですけど、しかしそれでもこうやって地道に一歩づつ進めるのは正しいやり方なんじゃないかと少し思うわけです。やっぱりそれは確かに一つの理想の形であることに、それなりに賛成しているからこそ。