『対価』を払っていない人が陥りがちな罠

構図的には「違法DLしたゲームを簡単に投げちゃう人びと」に近いかなぁと。


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ウィキ未編集公電を全て公開 英紙報道 - 47NEWS(よんななニュース)

 内部告発サイト「ウィキリークス」は1日、保有している一連の米外交公電ファイルに関して、ウィキリークスがそのコントロール力を失ったとのドイツメディア報道を追認した。そして、セキュリティー上の違反があったため、10万点以上に上る未編集文書を公開することになったと述べた。

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ということでアサンジさんぶち切れちゃったらしいです。なんというかアッサリやっちゃいました感。
しかしまぁそれも解らない話ではありませんよね。だって彼はその貴重な情報源に関して、基本的には何の労力も払っていないわけだから。故にいざとなれば簡単に切り捨てられちゃう。


いわゆる真っ当な『ジャーナリスト』な人びとが情報源の隠蔽に気を使うのはそれなりに理由があるわけで。だってそれは彼らにとっても苦労して得たネタ元であるし、また彼らを継続的に保護しなければ後に続いて情報を提供してくれる人だって現れてはくれない。彼らのネタは大なり小なりの対価を払って得た「成果」であるわけです。だからこそ大事にする。当たり前ですよね。
対してウィキリークスのそれは、情報提供者から「受け取る」ものであって、彼ら自身の成果というわけでは決してないんです。あくまで秘密情報を行動を起こして入手したのはウィキリークスにそれを流した誰かでしかない。


こうした両者において、未編集データの取り扱いの意識に差が生まれるのは避けようがない。
タダで手に入れた人と、対価を払って手に入れた人の、その商品に対する意識や愛着の差が生まれないわけがないんです。勿論正論的には「中身こそが重要である」とは言えることはできるけども、しかし私たち人間がそうした過程を完全に無視できるかというと、そんなこと当然ないわけであります。
なのでまぁ、ウィキリークスと既存メディアのこうした分裂はある意味必然の結末でもあったのかなぁと思うんです。
彼らはその手法において、決定的に別の世界に住んでいるのだから。