富者の強欲と貧者の妬み

それは両者が全く別次元の存在だからではなく、むしろ表裏一体であるからこそ彼らはそのお互いの怒りが許せないのでしょう。何故できるのにやらないのか、と。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/24985

この点はティーパーティー運動とも共通するが、ウォール街のデモ隊は、連邦政府の手の広げ過ぎではなく、巨額の金融取引や企業の強欲が米国の病の原因だと非難している。

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まぁそれもまた一つの真理ではありますよね。彼らは強欲に過ぎる、と。確かにその通りです。よく勘違いされがちのは、彼らは変節したのではなくて、はじめからそうだったという点にあります。そして本質的に誰もがそうである。かつてケインズ先生はそれを看破し、こう述べていました。

  • 経済というマシンの主要原動力である、金を愛し金を得ようとする本能。

そんな彼らの『強欲』と、しかしまた逆側から言われる貧者たちの『妬み』は、どちらもやっぱり経済を動かす為の主要原動力なわけです。それは勤勉さや上昇思考などと表裏一体であります。共産主義が成功しなかった理由の一つ。強欲と妬みという強烈な本能によって経済は動いている。その意味で、彼らの言う「富者たちの強欲」という指摘はやはり正しくて、そしてまた反ウォール街デモは「貧乏人の妬み」に過ぎないという主張もまたそれなりに真実を突いていると言えるのでしょう。そうして現状は維持され、格差は延々と拡大を続けていく。
この様な無限に拡大しかねない本能に対して、それをいかにして制御するかが将来の課題である、なんてケインズ先生は述べていたわけです。そしてその課題は未だに続いている。

ウォール街の抗議行動は、今のように漠然としたままでいる方が賢明だろう。前出のスミスさんは言う。「要求を持たないことは信じられないくらい強力なんですよ。あなたたちマスコミの方はこの運動を型にはめようと必死になるんですからね」

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だから彼らの抗議の行き着く先がこういう微妙な形に帰結するのも必然なのかなぁと思うんですよね。だって彼らの強欲を否定することは、同時にまた自分たちの反感・不信感を否定することとほとんど同義になってしまうのだから。そこにあるものはどちらも同じ本能でしかないんです。金を愛し金を得ようとする本能。しかしそれを完全に無くすことも、かといって適切な程度に抑えることもできない。決定的な解答を出すことができないんだから、黙るしかないのは正しい選択でありますよね。



格差問題の中心にある、その暴走しがちな本能を制御する術を、未だ見出せていない私たち。
「足るを知れ」を完全に肯定することも否定することもできない私たち。