「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」

一昨日「時代錯誤なイスラエル」な日記を書きましたけど、まぁそれって私たち日本のある東アジアでも大概似たようなものなんですよね。


中国との戦争-世界の論調批評

ニューヨーク・タイムズ10月25日付で、パネッタ米国防長官のアジア歴訪を前に、米AEIのMichael Auslinが、米国が今後10年間で5000億ドルの国防費削減を計画していることを背景に、アジアは将来について不安を募らせている、と論じています。
すなわち、アジアでは大国も小国も安全保障を求めて種々の関係を作っており、それがまた相手側の不安につながる中で、計算違いや民族主義的熱気が常識を圧倒する可能性が増している、

中国との戦争-世界の論調批評

まぁその通りなのでしょう。先週の日記のコメント欄でも少しお話に挙がりましたけど、結局の所、イスラエルを哂う私たちの住む場所東アジアにしても悲しいほど『時代錯誤』なんですよね。それぞれの国家が同盟を組むことによって自らの安全保障を保持しようとする、かつての多極世界のヨーロッパで見られたような、時代錯誤な『勢力均衡』の中に生きているのだから。


時代錯誤な世界観に生きる私たち。
その意味で言えば、普天間移設の議論において反対派の皆さんがよく仰っていた論理は確かに正しいのです。「何で今の時代になってまで沖縄に基地が必要なんだ」と。
実際、世界各地にあった米軍はほとんど縮小・削減を続けているのにも関わらず、日本のそれはこうして存続されようとしている。特に欧州のそれと較べれば一目瞭然ですよね。「未だに米軍基地が沖縄にこんなにあるなんておかしい!」確かにその通りなのです。ほとんど世界のどこでもそうなのに、しかし日本だけがこうして時代の変化に取り残されている。それは日本だけというよりもっと正確にいえば、東アジアだけが、もっとぶっちゃけてしまえば、中国の周辺国だけが。
こうした構図において重要なのは、かつては(抑止力として)機能していたものが時代の変化と共に削減されつつある、という視点であります。故にヨーロッパのそれは削減を続け、しかし逆に日本ではそれがされなかった。役目が終わった場所と、役目が終わらなかった場所。政府の悪意やら善意やらというよりは、ただそれだけの話でしかないんですよね。


「何で今の時代になってまで沖縄に基地が必要なんだ!?」その論理は悲しいほど正しいのだけれど、しかし時代とは世界中のどこでも常に同じように流れているわけではないのです。それこそイスラエルが居る中東のように、(パワーを持つ)誰かがその『時代の変化』に抵抗していれば、必然的にそれに付き合っていくしかないのです。国家は、嫌いな国が隣にあるからといって離れることなどできない以上、そこに選択肢はないのだから。
米国防省 中国戦略を冷戦モデルに従って策定: The Voice of Russia
身も蓋もない言い方をすれば、そういうことであると。冷戦がまだ終わっていない人たち。笑っていたはずのイスラエルと、実は似た場所に生きている私たち。ヨーロッパとかではそんな中国台頭に四苦八苦するアジアの私たちを「勢力均衡とかなんて時代錯誤(笑)」とか笑ってそうです。


チャップリンさんはこうした構図における素晴らしい金言を残していますよね。

「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」

うわー、遠ければギャグにできるのに、近いとほんとにわらえなーい。