誰がために鐘は鳴る?

「いつものよくある話」というだけではないのかなぁと。


米同性愛問題―クリスチャンのパン屋、訴訟問題に発展か : 社会 : クリスチャントゥデイ
わーめんどくさいお話だなー、と思ってしまうのはやっぱり私たちが不可知論的な立場でモノを見ている証拠なんでしょうね。まぁ国内的には勝手にやっていればよろしいんでしょうけども、しかしこれが国家間で起こってしまうと、よくある宗教戦争な悲劇に至ってしまうと。

 米アイオワ州に住むクリスチャン女性のヴィクトリア・チルドレスさんが、自身の経営しているパン屋でキリスト教の信仰に従って同性愛者のカップルのためのウェディングケーキ受注を拒否したことを受け、法的措置を受ける可能性が生じている。

 彼女の経営する「ヴィクトリアのケーキコテージ」に女性の二人連れが入店、女性たちの関係性を知らずに、客である彼女らに対し、試食用の5つのケーキを焼いたという。試食中にヴィクトリアさんは、二人連れの女性のひとりに対し、「お連れの方は妹さんですか?」と尋ねたところ、「いいえ、彼女は私の同伴者です」と言われたという。チルドレスさんはその答えを聞いて、自身がキリスト教の信仰をもっているため、その客のためのウェディングケーキを作ることはできないと答えたという。

米同性愛問題―クリスチャンのパン屋、訴訟問題に発展か : 社会 : クリスチャントゥデイ

うーん、しかし『宗教と結婚』という歴史性や関係性を考えたら微妙な所ではあるかなぁと。
ヨーロッパ的な『宗教(から)の自由』においては、このパン屋さんが信仰を理由に拒否するのは認められない、というのは確かに理解できます。だって公的な場所ではそれ(個人的な信仰)を持ち出さないことが、彼らにとっての平和と均衡の実現の手法であるんだから。「宗教的ドグマによる主観的なもので、民主的社会に於いてそれは他人の権利を制約する理由とならない*1」まぁ確かにその通りですよね。
本筋としてはそういう話になるのでしょう。この同性愛カップルの権利はどこまで奪われたのか。


それとは逆にアメリカ的な『宗教(実践)の自由』という点で見ると、パン屋さんの「信仰故に彼らにケーキは焼けない」というのは別にそこまで筋の悪い話でもないのかなぁと。やっぱり宗教心が篤い人にとって『結婚』というのは、かなり重大な宗教的儀式でもあるわけだし。
その意味でこの話の別の論点としては、現代における『結婚』という機能にどこまで宗教的な意味が付与されているか、という問題でもあったりするんじゃないかと少し思ったりします。


まぁともあれ、いかにもアメリカの選挙前な雰囲気ではありますよね。こうしたことが選挙争点になってしまうことについて、良いことなのか悪いことなのかさえもよく解りませんけど。