『ブッシュの戦争』という遺産

逆説的にそれがあるからこそ、今こうして選択肢が生まれているのかなぁと。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34627
ということで最近では珍しくeconomistさんのユーロ以外のネタがjbpressさんちで訳されていたので少しだけ。

そうした動きが起こる前に、イランが核兵器を手にする危険はあるのだろうか? 確かにある。それでも、武力行使はそのリスクを高めるだけに終わる恐れがある。

 イランが核兵器を手に入れようと決意しているなら、それを食い止めることはできるのだろうか? 永久にとどめておくことはできないだろう。しかも、武力行使はイランを一層、自暴自棄に追い込むかもしれない。

 軍事的に占領しない限り、国際社会がイランの核兵器製造能力を排除することはできない。国際社会にできるのは、核兵器保有したいというイランの意志を変えさせることだけだ。現時点では、それを達成できる可能性が高い手段は、戦争よりも経済制裁と外交だろう。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34627

まぁそういうお話にはなってしまいますよね。別にイランがどうこうという話ではなくて、結局のところ――大量破壊兵器があるとして攻め込んだ――あのイラクでの教訓にこそ、アメリカにとっての判断基準が求められてしまっているわけで。
元々ブッシュ・ドクトリンはそうした(疑惑のある)国家に対して、躊躇わずに先制攻撃するすることで、他の国々に対しても予防的に「お前もこうなっても知らないぞ!」というマッチョなポジションを示威しようとするものでした。しかしまぁ蓋を開けて見れば、実はアメリカ自身にもその先制攻撃の負担が重過ぎて、全く逆の教訓を与えてしまう結果となってしまったのです。「どうせアメリカはイラクの二の舞を恐れて攻めてこないだろう」という致命的な(本来あったはずの)抑止力の低下こそを。
かくして見事に、本来それを抑止するはずだった(アメリカ軍の)通常兵器による抑止力は低下し、そして同様にイラクの負けっぷりを見た国々は益々核兵器の必要性に確信を深めていくのでした。まぁなんというか悲しいお話ですよね。良かれと思ってはじめたことが結果として全く反対の結果を招いてしまったお話。それってベトナムと同じ構図に見えます。
そんなベトナム後にあったような『自信喪失』とまでは行きませんけど、ある種のそんな躊躇に陥っているのが現在のアメリカの姿なのかなぁと。そして皮肉にもそれがこうした議論を生む背景ともなっていると。


じゃあどうすればいいのか、というお話に戻ると、やっぱり皆大好き経済制裁という線に落ち着くのでしょう。だって手を汚さなくて済むのだから。まぁそれをやると経済制裁下でのイラクのように老人や子供といった弱者たちから死にまくってしまうわけですけど、それでも空爆するより『人道的』ですよね。ちなみに、そんな飢える子供たちを救う為に制裁下でのイラクで限定的に行われていた国連の「石油・食料交換計画」は、見事にフセインさんが不正に流用していたことが(戦争後に)明らかになったわけです。人道的ってなんだろう。
ついでに、今回のイランでは北朝鮮イラクと違って「それなりに」民主主義が根付いてもいるからこそ、逆に経済制裁に対するリアクションがきちんと返ってくることを期待してもいるのかなぁと。
イラン:来月、国会議員選挙 事実上、保守派内の争いに - 毎日jp(毎日新聞)
といってもまぁその、選挙による変化、は見事に裏目に出そうな雰囲気なんですけど。


ということでアメリカさんが揺れる、かつてのような「正義とは躊躇わないことだ!」な姿勢と、そして今回のように戻ることも進むこともできない姿勢について。
米に予告せずイラン攻撃 イスラエル方針と報道 - MSN産経ニュース
勿論前者の方が素晴らしかったなんてとても言えませんけど、しかし後者の態度はそれはそれでこうして危機を煽ってもしまうのでした。イスラエルを手伝うことも、かといって説得もすることもできないアメリカ。超大国って大変だなぁ。がんばれオバマさん。