あれから一年

これまでだって散々各所で語られてきたし、ついでに一年という節目もあって今更僕なんかが書いてもきっとどこかの人と被っていそうなんですけど、折角の機会なので以下適当に雑感。


率直に言うとガッカリ…キーンさん、復興で苦言 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
東日本大震災、未曾有の被害を数字で振り返る 写真6枚 国際ニュース:AFPBB News
3.11の話題が新聞の一面から次第に消えていくのを見える化してみた - GIGAZINE
とりあえず現実の問題としてはさて置くとして、一つの節目ではあります。



さて置き、まぁ結局のところこうして振り返ってみると大震災とそれに伴う原発という事故は、東北の被災者だけでないそれ以上の多くの人を「当事者だったのだ」という意識に目覚めさせてくれたという点において、ただ単純に正の方向だけでなく見事に負の方向へも作用した結果だったのかなぁと。
そんな当事者意識の目覚めは「現実の」被災者たちを見事にピリオドの向こう側に置いてけぼりにしてしまったし、誰もが一度は通る初めての「社会の悪への義憤」はまぁ大抵の法則通りにこれも見事に斜め上の方に突っ走ってしまったのでした。
身も蓋もなく言ってしまえば、端から見ている分にはともかく自分が利害関係者だと巻き込まれてしまった瞬間から他人を気にしているような場合じゃなくなり『絆』だのなんだのは吹き飛んでしまうし、そして大人になってから罹る麻疹はそりゃ重症化してしまうよね、という結末に。かくして、当事者意識の目覚め、は二重の意味で悲劇を生んでしまったと。勿論それはそれはポジティブな面もあったんだろうけど、しかし少なくとも現実の被災者たちにとってはネガティブな影響の方が大きかったんじゃないかと思います。


文字通り、よりたくさん「苦しみを分かち合おうとした」結果、見事に他人のことになどかまけていられなくなった人たち。よく考えたら当たり前の帰結ですよね。誰だって他人より自分を大切にすること自体は責められないわけだから。その意味で「当事者」として彼らは正しく振舞っているとは言えるかもしれません。
いやぁこの構図について悲しめばいいのか笑えばいいのかよく解りません。