権威の失墜と機能の陳腐化

そんな二人の犯人のお話。


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誰が百科事典を殺したのか|WIRED.jp
ということでブリタニカ百科事典の書籍版が終わってしまうそうです。まぁこれも時代の流れなのかなぁと。


wiredさんちの記事の方でかなり詳しく言及されていますけど、元々機能としての『実用性』とステータスとしての『象徴性』という二つの存在意義としてあったものが、特に後者の役割が消えつつあったことを止めることができなかった、というお話であると。そんな権威を背景にした「何となく必要」「みんな持ってるから」という商売の終わり。
それをもたらしたのがただwikipediaではなく、実の所パソコンそのものだった、という指摘はなるほどなぁと思います。まぁそんなインテリアとしての役割もこれから数十年したら一周してまた戻ってきそうな気もしますけど。敢えて本で持つのがオシャレ! 的な。
ともあれ、百科事典の事例だけが特別というわけでも勿論なくて、実際よくある構図でもありますよね。その「持っていること」のステータス・象徴性が薄れていき、ついに決定的なラインを超えてしまいつつあるもの。かつては大人が当然備えているべき万年筆だとか腕時計だとか、最近では車なんかもそんな感じになりつつあるのでしょうか。その機能については未だ維持しているものの、しかしその持っていること自体に意味があるという属性が消えつつあるモノたち。より大きな議論だと結婚だとか、あるいはマスメディアの役割だとか。
まぁそんな風に考えると、やっぱりものすごくよくある話の一つ、というオチになる気がします。かくして百科事典も(その機能は別としても)象徴としての役割は終えつつあるのだと。そして「若者の○○離れ」なんて風に適当なことを言われてしまうのでした。


そんな象徴としての方向性をばっさり諦めたブリタニカさんちの選択について。まぁ端から見ても正しい選択だと言えるのではないでしょうか。
しかし残りの存在意義である『百科事典としての機能』をいかにして確保するか、というのはまた別のお話でもあるわけですよね。そこでまたwikipediaを筆頭とする『インターネットを使った検索力』と勝負しなければならないと。デジタル版の前途にしてもすごく大変そうです。
かなり前の日記でも少し書きましたけど、百科事典の販売という商売としてこうして終焉してしまいつつあるだけでなく、同時にまたより本質的な百科事典の機能としての存在意義が『インターネットによる検索』という概念によっても終焉しつつあるのかなぁと思うんですよね。広く浅い知識を得る為、あるいは更なる深い知識への架け橋となる為、その為のツールとしてはもう本気で陳腐化しつつあるんじゃないかと。個人的にはぶっちゃけこっちの方が『象徴としての百科辞典』よりも分が悪い気がします。


「誰が百科事典を殺したのか?」という問いについて、上記からそんな二つの犯人が導かれるのかなぁと。権威の失墜と、機能の陳腐化。
せめてどちらか片方さえ残っていれば生き残っていけそうなんですけど、どっちも勝ち目が薄そうなのが悲しいお話です。がんばれ百科事典。