多文化主義な人たちが見て見ぬフリをするもの

日本の拉致問題ってそこを的確に突いてしまっている点が、彼らの関心が薄い理由の一つではあるのかなぁと。


アメリカが拉致問題などで「日本の立場」を十分に理解できない理由 | 冷泉彰彦 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
なかなか面白い視点ではあるんじゃないかと。さすが冷泉先生です。

 この問題ですが、他でもないキャンベル次官補の口からポロッと出たというのは、ある種アメリ国務省のホンネを表していると見るべきでしょう。そういう言い方をしますと、憤りを覚える方もあるかもしれませんが、何しろこれは外交であり、アメリカという相手がある話ですから、相手側の発想法を分析しておくことは必要だと思うのです。

 アメリカがこの問題における「日本の立場」が理解できないのには1つの理由があると思われます。それは、成人した人間、次世代の家族を構成している人間を親が「奪還する」ことの正当性について、どうにもピンと来ていないという問題です。

アメリカが拉致問題などで「日本の立場」を十分に理解できない理由 | 冷泉彰彦 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

確かに、何気なく言った一言にこそ本音が含まれている、というのはあるあるネタですらあります。
しかしまぁこの辺りの割り切り具合は、さすが曲がりなりにも『多文化主義』の実践者であるアメリカらしいとは思ってしまいます。つまり、一人の人間が決めた価値観(アイデンティティや文化やイデオロギー)に他者が口を出す権利などないのだ、と。確かにそれは一理あるお話です。
ただこれってやっぱり複数単一文化主義的な――多文化主義についてのある種の矛盾を示唆しているとも思うんですよね。
だからこそ、上記リンク先の本題である日本の拉致問題についても、その矛盾から目を背けたい故に、関心の薄い態度になってしまうのではないでしょうか。
多文化主義という仮面の下にあったもの - maukitiの日記
以前の日記でも書きましたけど、結局彼らが辿りついた人種のサラダボウルのような多文化主義って相互無視による共存と平和、でしかなかったわけで。その他者の価値観に干渉しないという個人主義の果てにあったが、やっぱりこうしたある種の無関心と不干渉に行き着くのは当然の帰結ではないかと。確かにそれはベストでは決して無いけどもベターなやり方ではあったのでしょうけども。


しかし、多文化主義の先進国でもあったイギリスやフランスなどの欧州諸国がその問題に直面しているように、そのアイデンティティの『構築過程についての正当性』という問題は現実として存在しているわけです。
例えば保守的な宗教家庭(別にキリストでもイスラムでもどっちでもいいです)に育った若い娘への――宗教的価値観の教育という名の下に行われる――「自由の抑圧」について、社会は一体何処まで干渉すべきなのか? 「肌が出るような服は着るな」とか、「男友達と出かけるな」とか、「宗教や民族の違う友人とは付き合うな」とか。
勿論それはあからさまに行き過ぎれば当然アウトでしょう。洗脳だったり暴力だったり。では、その行き過ぎてしまうラインって厳密には一体どこなのか? 両親という圧倒的な権威によって押し付けられた価値観について、それはほんとうにその娘という個人が自らの意思で選択した結果なのか? そこに他者が口を出す権利はあるのか? もし口が出せるとすれば多文化主義とはそもそも一体なんなのか?
この問題って『多文化主義』を語る上で避けられない問題ではあるんですが、しかしどう見てもナイーブでセンシティブ過ぎて簡単に答えなど出せるはずもなく、世界中で暗黙の了解の下に見て見ぬフリをされ続けているのでした。


そしてこの問題は私たち日本の拉致問題についてのアメリカ人の見方でも同様に言えると思うんですよね。拉致された先の北朝鮮で(ほぼ確実に押し付けられただろう)アイデンティティや価値観について、私たちは口を出す権利があるのか? それとも成人した一個人の選択として扱うべきなのか?
ほぼ確実にそれは押し付けられたモノではあるんだろうけど、しかし現実にやっぱり今となってはそれは成人としての尊重すべき個人の内心でもあるのです。故に後者を重視する彼らアメリカ人は上記キャンベルさんのように、親と成人した子供は別人だろうと素朴な『本音』を抱いてしまう。まぁそれは仕方の無い事なのかもしれません。だって前者について深く議論しようとしたら現在の形での多文化主義が根本から揺らいでしまうのだから。ある種の防衛反応ではあるのかもしれません。
ところがそんな(その形成過程については見ないフリを決めた)薄氷の多文化主義という背景なんて元々ない私たち日本人にとっては、何をバカなことを言っているんだ、と素朴に思ってしまう。この辺りについてはそもそも、その背景があった方が良かったのか、無い方が良かったのか、それさえも微妙な所ではありますので面白いお話だなぁと。


一体どうすればいいのでしょうね。みなさんはいかがお考えでしょうか?