なぜドイツの中の人たちはインフレを親の敵の如く憎んでるの?

答「親の敵だからです」


http://econdays.net/?p=6587
ということで、またもや諦めの悪いクルーグマン先生が必死に訴えかけていますけど、とうとう本人もどこか諦め顔です。いや別に顔は見えていませんけど。「緊縮策さえやめればいいんだよ!」「ドイツがインフレを許容すればいいだけなんだよ!」「そう、ぼくらはわかってた、わかってたんだよ!」うん、まぁ、確かに多分その通りなんでしょうけど、でもそんな正論だけで政治を動かせたら真っ当な政治家の皆さんは誰も苦労はしませんよね。しかし先生を見ていると、頭の良い人も色々大変だなぁと余計なお世話なことを考えしまいます。


さて置き、以前の記事クルーグマン先生が「ドイツは過去10年では上手くいったからと考えているかもしれないけどそれは幻想だよ〜目を覚ませ〜」的なことを仰っていましたけど、しかしドイツの皆さんにとっては、それよりももっと強烈なインフレにまつわる原体験があるわけですよね。
つまりドイツという国家そのものにとっての悲劇の神話。そんな『インフレの悲劇』と言えば一般に二つ挙げられます、1920年代のハイパーインフレと、そして1945年直後のインフレ。特に最初のハイパーインフレは、それこそがドイツがあのナチズムに走った主な要因の一つだとさえ考えられてきました。あのハイパーインフレによって民主主義の基礎であった中間層が致命的に破壊されたことが、ドイツ最大の不幸のはじまりだったのだと。
「カントやゲーテやベートーベンを生んだ国が、ナチの全体主義に陥ってしまった原因」それこそインフレである。第二次大戦後インフレ下にあったドイツ経済を奇跡の経済成長へ導いた立役者たるルードヴィヒ・エアハルト*1さんら新自由主義者たちはそう考えていました*2。故に戦後のドイツにとって『通貨の安定』とは他の何を犠牲にしても守らなければならない不可侵かつ神聖なドグマとなり、そして1957年に生まれたドイツの中央銀行(連邦銀行)にとっても当然の如く「インフレ抑制」こそが至上命題となったのです。
かくして、ドイツの悲劇の経験はその教訓として『三つ子の魂百まで』と言っても良いほどにそれはもう神格化されているのです。敵はインフレにあり。まぁ半分くらいは間違っていませんよね。
こうしたドイツ連銀が後の欧州中央銀行のモデルになり現在でも指導的な役割を果たしていることを考えれば、現在のECBのやり方についてもまぁ何の不思議もありませんよね。


もし、いつかドイツがインフレによる悪夢を払拭出来る日が来るとすれば、そんな過去の出来事を良くも悪くも払拭できた時でなければ不可能じゃないかと思うんです。
その意味で、最近になってまたしばしば囁かれるようになった、かつてのナチスなドイツを連想とさせるような批判は、むしろ結果的によりドイツのインフレ嫌いに拍車を掛けている面もあるんじゃないでしょうか。だって彼らは良くも悪くも「あの悲劇を二度と繰り返さないために」インフレを親の敵の如く憎むようになったんだから。文字通り親の世代の敵として。
だからドイツの中の人たちに、あの過ちを未だに責め続けておきながら、しかし同時にまた絶対的なインフレ敵視はもう止めるべきだ、というのはぶっちゃけあんまりフェアではないかなぁと。


そんな過去の教訓に必死にしがみついているドイツの中の人たちについて。でもまぁ私たち日本も結構似た所がある気がしてなんだか共感が沸いてしまいますので、この日記としてはずっと概ねドイツさんに同情的なポジションだったりするのでした。

*1:ドイツの政治家。1963年から1966年まで、西ドイツ首相。長く経済相を務め、西ドイツの第二次世界大戦後の奇跡的な経済成長(エアハルトの奇跡)の立役者として名声を博した。所属政党はドイツキリスト教民主同盟 (CDU)。ルートヴィヒ・エアハルト - Wikipedia

*2:『市場対国家(上)』P47