「税金が適切に運用されているかどうか」のボーダーライン

主観の問題といってしまってはそれまでなお話。


維新の会「生活保護はクーポン券支給」にテリー伊藤猛反発!北朝鮮と同じだ : J-CASTテレビウォッチ
痛いニュース(ノ∀`) : 「生活保護でパチンコやって何が悪い!」 テリー伊藤、大阪維新の"クーポン券支給化"案に「北朝鮮と同じ」と猛反発 - ライブドアブログ
えーまぁ僕もパチンコはさっぱりやらない派なので反射的に批判したくなる気持ちはわからなくはないです。あ、でもツインエンジェルは知ってます。

一部マスコミでよく槍玉にあがるパチンコなどのギャンブルについても同様の考えだ。「(生活保護費で)パチンコやってなにが悪い。アダルトビデオを楽しんだらいけないのか。いいじゃないですか。人間、生きてるんですから。そんなことまで全部クーポン券で規制するなんて、北朝鮮と一緒ですよ」

維新の会「生活保護はクーポン券支給」にテリー伊藤猛反発!北朝鮮と同じだ : J-CASTテレビウォッチ

しかしめんどくさいお話ではありますよね。私たちが税金で払っている以上、生活保護はきちんと運用されるべきであると。確かにその通りであります。
僕としては『代表なくして課税なし』なんて言葉を思い出してしまいますけども、私たち有権者としては税金の使い道について声を上げる権利と、そして監視する義務があるわけで。それこそがつまり民主制の第一歩でもあるのでした。なのでそうした議論自体はやっぱりあって然るべきお話なんです。
その点で言えば、軍事費に税金を注ぎ込むのはけしからんと怒る人も、オリンピックは税金の無駄だと怒る人も、大企業(東電)を税金で救うのはけしからんと怒る人も、原発開発に投入するのはけしからんと怒る人も、そして生活保護に無駄な税金は使われるべきではないと怒る人も、ポジションとしてはあんまり違いはないのです。
そこでは誰もが素朴な願いとして、自分たちが払った税金が正しく――主観によって――使われることを望んでいる、ということでしかない。
もちろんこうした怒りの沸点についてはそれはもう人それぞれなわけで。日本の軍事費は無駄だと考えて怒る人も、東電が嫌いな人も、原発を憎む人も、生活保護がパチンコへと流れ込むことに怒る人も、やっぱり彼らの怒りは同じ根っこにあるのでしょう。「そんな税金の使われ方はガマンがならない」と。


そうした願いは日本だけでなくやっぱり世界共通であり、むしろ正しい理性の働きと言っても過言ではないのです。あのティーパーティーや反ウォール街のデモもそうだし、ユーロの危機に揺れるドイツでもフランスでもギリシャでもやっぱり同じなのです。経済的な危機下にあってこそ、俺たちの税金の使い道は俺たち自身が正しく決めるべきだ、と急に目覚める人たち。
本題とは関係ありませんけど、私たちが21世紀になってもしばらくは国民国家の枠組みから抜け出せそうにないのは、こういう理由が大きい気がします。金を払っているからこそ簡単に諦められない。自縄自縛に陥っている私たち。


ともあれ、こうした社会保障と言うだけでなくて、民主政治そのものの根幹にかかわる当然あるべき議論について。やっぱり『生活保護』だけを特別扱いするのもいかがなものかとは思います。ていうかこれまで、弱者救済にかかわるデリケートな問題だからといって生活保護を殊更にアンタッチャブルにしてきた結果が今の現状でもあるわけですよね。そうした監視が働かなかった結果、見事によくわからない力学が働くようになってしまっている構図。
そしてそうした議論をなおざりにしてきたツケが今になって噴出していると。
生活保護を見直すべきだ!」なんて怒っている人がちらほらいらっしゃいますけど、実のところ、そういう人たちほど見直す以前にそもそも初めから視界に入れていなかったというオチ。スタートラインにさえ立っていなかった私たち。まぁこの辺も先週辺りの日記でも書いた『勤労意識にあふれる私たち』の負の側面とも言えるのかもしれませんけど。


そんな今更ながらに「生活保護けしからん!」と騒ぐ人たちに対して、「どうせ自分は関係ないと思っているんだろう」なんて見方がありますけど、実のところ逆だと思うんですよね。それは、ようやく、今更になって、危機感に目覚めたからこそ彼らはこうして叫ぶようになったのだと。だって本当に興味がなかったらそれまでのように無視していれば良かったんだから。しかし最早無視できる状況ではなくなってしまった。かくして経済状況の変化によって主観・目線が変わった彼らは今更ながらに叫ぶのです。
生活保護けしからん!」なんて。


いやぁどうしようもないですよね。