典型的なブラック労働な人たち

どう見ても無理な要求をさせられている可哀想な人たち。


朝日新聞社デジタル:担任「やりすぎんなよ」 大津自殺、暴力見た生徒が証言 - 関西ニュース一般
いじめた側にも人権…「自殺練習」真偽確認せず : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
ということで最近話題の「イジメで自殺」というものすごく解りやすいネタであります。しかし今回の件のほとんどは、あの素人丸出しの記者会見でものの見事に火に油を注いでしまったという点に尽きるのではないでしょうか。いやぁどうしようもないですよね。「イジメで自殺」という本丸はさて置くとしても、この記者会見での応答こそが致命的だったなぁと。プロを雇うなりもう少し上手くやればいいのに。
ただまぁそうした光景こそがいつもの日本的風景とも言えてしまうんですけど。


さて置き、この『学校内でのイジメ』という議論において、僕のポジションとしては「絶対に無くせないので他の手段で抑止するしかない」という辺りであります。
ぶっちゃけ子供なんて動物と紙一重じゃないですか。だからそうした原始の社会構成において、同様に原始的な社会統制手段が用いられるのは不可避だと思うんですよね。つまり暴力や嘲笑(からかい)といった――大人であれば少なくとも表向きは否定する――手段が極当たり前に用いられる。ある種の無政府状態に置いておけばそうなるのは当然なんです。だってそれこそが最も効率的なやり方なんだから。『子供達の子供達による子供達の為の社会』では当然の帰結なんです。
もちろんそれを否定する意見もあるでしょう。「子供たちだってバカじゃないんだから言葉を尽くせば解ってくれる」と。ただまぁそれで全く解決に導けていないからこそ現状があるわけで。そうした意見を聞くと、個人的には「ならば今すぐすべてのイジメをする子供たちに叡智を授けてみせろ」と某赤い人の言葉を思い出してしまいます。
以前の日記何故「いじめをしていた彼らは馬鹿だ」と言うだけでは何も解決しないのか - maukitiの日記でも少し書きましたけど、この構図において「大人の理屈」や「外部の理屈」をどれだけ重ねても意味はないんですよね。だって彼らの社会は彼らの価値観で動いているんだから。
一体どうやればそんな違う価値観の下に生きている人たちを転向させられるのか? ――もしこの解答を正しく導けるのならば人類全ての争いのうち半分くらいは克服できる気がします。


ともあれ、なのでまぁそれを手っ取り早く抑止するには、やっぱり実行力をもった(上位)秩序を導入するしかないと僕は思っています。
それは教師だったり、あるいは伝統的なパブリックスクールのような生徒自身による規律だったり。教師による強権の否定や、あるいは生徒のひたすらの平等化とか。もちろんそれはそれでメリットもあるんでしょうけど、しかしデメリットとしてこうした『生徒間の無政府状態』も生み出してしまう。
別に実行力を生み出すモノと言ってもただ暴力というだけではなく、権威や尊敬でもいいんです。その実行力を担保するもの。
その意味で、現状の教師のみなさまは「実行力を否定された上で、しかし生徒を統制しろ」という果てしなく無理難題を押し付けられているんじゃないかと思うんですよね。一体何の罰ゲームかという感じです。それは決して達成不可能ではないんでしょうけど、おそらくものすごく高い能力を要求される。そしてそんな能力が高い人ばかりかというとそんなことはあるはずもないと。
かくして大多数の教師はそんな生徒たちの無政府状態を止めることができない。
「イジメを抑止できなかった教師が悪い」なんてよく言われたりしますけど、しかしどう見ても勝てそうにないんですよね。だってあまりにも手札が弱すぎるから。ひのきのぼうやこんぼうじゃ魔王は倒せないんです。


教師の皆様は少ないリソースでの無理難題の解決を押し付けられ、ますます「能力のある人ほど」教師を忌避するようになっていく。そしてその無能さを見た親たちはますます、教師たちの手を縛りたくなっていく。無能だからこそ余計な事をさせたくないという気持ちはとてもよく解ります。しかし本当に必要だったのはその裁量権を広げることだったのに。真逆に走ってしまう私たち。
いやぁどうしようもない負のスパイラルであります。ブラックの極み。