『利己的な遺伝子』のままに生きてはいけない私たち

利他的な個体を操る利己的な遺伝子


ハチは社会を作ると各個体が得をすることが明らかに、協力の大きな利益で社会が維持される - GIGAZINE
リチャード・ドーキンス先生のあれで有名になったお話ではありますけど、これってまだ実際には解明されていなかったんだなぁと。それがきちんと解明されたそうで。

つまり、協力相手が非血縁者の場合は自分の子を残すことで直接遺伝子を伝え、母親と協力する場合は母親経由で間接的に遺伝子を伝えているというわけです。いずれの場合も、社会構築は幼虫の生存率を大きく高める効果があり、それが各協力個体の利益を高めていることが示されました。

ハチは社会を作ると各個体が得をすることが明らかに、協力の大きな利益で社会が維持される - GIGAZINE

まぁ言われてみれば納得してしまうお話ではありますよね。
私たち人間にしたって『遺伝子的に近い人物』であればあるほど、つまり血縁関係に近ければ近いほど、そうした利他的行為に走る可能性は一般に高いだろうと自覚してもいるわけで。それはやっぱり結果として、自分が持つ遺伝子と同様のそれが残るのならば、必ずしも「自分個人」を優先する理由もないのだと。
そして同様に、私たちが――それこそ本能と言うレベルで――人間の赤子を可愛いと感じて(させられて)しまうのも、やっぱり上記のような理由からなんでしょう。私たちが子供を大切に思えば思うほど、結果として自分の子供も大切に育てられるだろう環境を期待できる。だからこそ私たちはそれを大切にするのだ、と。
つまりそうした本能が人間社会バージョンとして発露したものが、「縁故びいき」や「血縁主義」でもあるわけで。そしてまた子供(家庭)の優先という、「女は家庭を守るべきだ」「女の幸せは子供を産むことだ」なんていうお話であると。未だに一部先進国の除いた、世界中ほとんどの国ではそうした行動基準が一般的でもあるんですよね。つまり人間を操る利己的な遺伝子たち。いやぁ遺伝子ってコワイですよね。
先進国に生きる私たちが一般に否定するそうした価値観は、実際『生物』としてはある種正しい行為なのだと。


しかし、ハチやアリと違って、私たち人間はもっと複雑な事情に生きるようになってしまったのでした。私たち日本をはじめ、それだけを金科玉条に掲げていられるような平和な時代はとうに過ぎ去ってしまった。「血縁・縁故主義」だとか「家庭をもって一人前の大人」だとか。そんなことを今大声で主張したら白い目で見られるのは確実であります。
最早私たち人間は『利己的な遺伝子』という本能のままに生きてはいられなくなりつつある。でもやっぱりそれは本能のレベルで訴えかけるお話でもある故に、そうした声は完全に無くなりもしない。
それでもまぁ同じ人間のそれを見ると首をかしげてしまいますけど、そうではないアリやハチのように単純な世界に生きている存在を見ると、少しだけ憧れてしまう気持ちはわからなくはありませんよね。






そういえば、昨今のデモやらなんやらでも『子供のいのち』を前面に押してやる人たちが絶えないのも理解できます。『子供の安全』をダシにする彼らは――その是非はともかくとして――確かに正しい戦略を採っているとも言えますよね。だからこそ同時に、その古い価値観を絶対の正義として持ち出す彼らに反発を抱いてしまう人も(自分も含め)少なくないんですけど。
「それは確かにそうだけど、しかし今の社会ってそんな単純なものじゃないでしょう?」なんて。