美しく生きたい

じゃあその「美しい」ってなぁに?


リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)
いやぁとても素晴らしいお言葉であります。まぁこうした消費・経済至上主義への批判ってやっぱり古くて新しいお話ではあるんですよね。それは私たちがずっと気付かなかった問題というわけではなくて、むしろ「目を背け続けてきた」問題であるのです。
有名どころではケネディさん(弟のロバートさんの方)の「GDPって幻想じゃね?」の演説とか。アメリカ大統領候補だった彼は1968年の時既に「『物質的欠乏』を解決しようとしても、しかしそれでも『満足の欠乏』との戦いは終わらない。われわれはその点こそを考えなければならないのだ」と演説しております。アメリカでこんなことを言ってのけたケネディさんはすごいなぁ。まぁこんなこと言っていた直後に見事に暗殺されてしまうわけなんですけど。


ともあれ、まぁ日本でも以前からブータンのそれなんかと比較して「日本人は不幸だ!」とかしばしば嘆かれていたりしていますよね。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福の対抗にあっては行けないのです。発展というものは人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、必要最低限のものを持つこと。

幸福が私たちのもっとも大切な「もの」だからなのです。環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。

リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)

ただまぁ私たちは別に、そうした経済的な成功こそを自発的に選んだからこそ、今の場所に立っているというわけでもないんですよね。いや勿論ある程度までは私たちがそう望んだからこそ、という面はあるでしょう。しかし少なくない面で同時に「何が幸福とはそれぞれ相対的なモノである」という基本思想から、その代替として解りやすい「経済的成功」を追及することが一般的になってしまったわけで。まぁそれも行き過ぎてしまって現在のようになってしまったんですけど。
より多く消費できる人こそが幸福である。
まぁ改めて直截にそう言ってしまっては首を傾げてしまう人は少なくないでしょう。しかし幸福をそんな風に『量』で換算しようとする試みは、やっぱりある意味で中立的な概念でもあるわけです。だってそれを『質』で評価しようとした時、一体どうやればそんなことが可能になるのかまったく解らないから。


だからムヒカ大統領のありがたいお話には、より重要な本題があるのです。つまり、ならば私たちは一体それ以外の何に幸福を求めればいいのか? 彼はそれを例えば「愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、必要最低限のものを持つこと」と述べていますけど、しかしそれを例えば日本の保守派政治家あるいは海外での宗教保守派の人たちが「国民がより幸福に生きる為にそうした価値観こそが重要である」なんて言ったら果たして万人に受け入れられるでしょうか? そんなことお前に指図されたくない、と考える人はきっと少なくないと思います。
かくして私たちはそうした『正義』や『美しさ』という概念をめぐっての対立を避ける為に、その問いについて――あまりにも個人的な分野の問題だからと――考えることを先延ばしにしてきたのです。
結局それって現代社会に生きる私たちの基本的な思想でもある、価値相対主義とかなり衝突してしまう概念ではあるんですよね。人間の幸せなんて人それぞれなのだから、そんな事まで『政治の問題』にされたくない。上記ムヒカ大統領の言葉を聞いても尚そう反発する人が出るのは避けられないんだろうなぁと。



ということでその行き過ぎ、あるいは地球の限界が見えてきた点で「大転換させねばならない」というのは確かにその通りなのでしょう。よく言われているように遅れてやってくる膨大な後進国の人たちが現状の先進国と同じような消費社会を維持するのはどう考えても不可能だから。もうバスの席は一杯なのです。これ以上誰かを乗せるなら誰かを蹴り出すしかなくなりつつある。
しかしそれをやめることは同時に私たちに直視しがたい問いを突きつけることになるのです。
「人間が幸福に生きるとはどういうことですか?」


もちろんそれは個人がそれぞれに思うのならば話は簡単でしょう。しかし彼はそれを政治の問題と仰っています――そして恐らくその通りなのでしょう。これまで私たちは目を背け続けてきたものの、しかし今こそ政治によって私たちが真に幸福に生きられる社会を作ろうではないか、と。そうした『道徳』や『正義』や『幸福』や『美しい』と呼ばれるモノの定義ついて。私たちは政治的に合意することが果たしてできるのでしょうか? 
――と聞かれると個人的には「うーん」と躊躇ってしまいます。それが出来たら苦労はしていないよなぁと。しかしそれさえ乗り越えられれば、人類が抱える問題の大半は解決するかもしれない、というのも理解できます。
みなさんはいかがお考えでしょうか?