平和を祈り続けて67年

その結果がプライスレスだなんて寂しすぎます。


広島、きょう67年目の「原爆の日」 写真14枚 国際ニュース:AFPBB News
毎年恒例の季節がやってまいりました。原爆被爆者の慰霊に対して哀悼の意を。そして関係者の皆さまおつかれさまです。


もう67年だそうで。しかし、結局、2012年の今、核兵器は無くなりませんでした、というオチであると。
このままだといつ「過ちは繰り返しません」も絵に書いた餅で終わってしまっても不思議ではありません。なのでいい加減そろそろ戦術が間違っていたんじゃないかとの声がもう少し上がっても不思議ではないと思うんですけどその辺どうなんでしょうか。
勿論理念としての「核なき世界」というのは大変素晴らしいものだと僕も思います。しかしそれを一心不乱に67年間こうして訴え続けてきたけど、結局の所まぁ世界における根本的な構図的としては何も変わっていないわけで。関係者の皆さんが続けてきたそれがまったくの無駄であったとは口が裂けても言うことはできませんし、実際それぞれ個人に対しての啓蒙や国外への繋がりという点においては間接的に成功している面もあるのでしょう。
しかし、日本が『国家として』は国際社会にさっぱり影響も残せなかったのはやっぱり事実でありますよね。彼らがあれだけ訴えても、一旦手にした後に核兵器を手放した国なんてわずかな例外である南アフリカしかない。それどころか現代に至っても尚北朝鮮やイランなど「新しく」持とうとする国が生まれてきている辺り、完全にその説得は失敗していると言われても仕方ない状況であります。
アピールが足りていないのか、それとも日本のやり方が間違っているのか、それとも実はそもそもやる気がなかったのか。その悲惨さや被害を訴えるだけでは結果として何も変わらなかった67年について。


核兵器のそれは過去のお話だから今更言っても仕方ありませんし以前から地味に言われてたりするお話なので、まぁさて置くとして。わざわざ今年になってこの日記を書いたのは、なのになぜか最近流行りの脱原発の人たちまでも同じポジションに立とうとしているのが個人的にはものすごく不思議であるからです。そのやり方だと67年間何も変えられなかったって証明されちゃっているじゃないですかー。

 日本は、核兵器の恐ろしさだけでなく、原発事故の経験や被害の実相を世界に伝えていく責任を担っている。「核と人類は共存できない」という言葉の重みを今一度かみしめたい。その原点に立ち、平和利用も含めた原子力の問題を根本から議論していく必要がある。

http://mainichi.jp/opinion/news/20120806k0000m070125000c.html

やっぱり毎日新聞さんの仰るその理念としては大変素晴らしいこと思うんですけども、しかし最近流行の『脱原発』運動も核兵器と同じようにその経験や被害を訴えていこうというだけでは、核兵器のそれと同じ末路をたどってしまうんじゃないかと他人事ながら少し心配になったりします。
(まったく何も変えられないまま)ただその経験や被害の実相を訴えているだけの国、日本。まぁ『責任を担っている』国家として、だからといって積極的に他に何かするわけでもなくただ議論だけしていくポジションで満足しているなら別にそれはそれで構わないとは思いますけど。
ぶっちゃけこのまま同じやり方を続けていても、やっぱり67年後も同じように『脱原発』を訴えているとかそんなオチになってしまうんじゃないのかなぁと。


ということで、核兵器にしろ原発にしろ、しかし僕なんかにはそれに代わる説得の方法はまったく思いつきませんので、起死回生一発逆転の策を頭のいい人に期待しておきます。
がんばれ頭のいい誰か。