元気が出るおまじない「イナタカシ・ラカタイ・テレサマダ」

ドラえもんの名曲っぽく言うとグッドです。


「だまされた」という言い逃れ
えーまぁポジションは違いますけども、概ね言っていることは理解できるかなぁと。でも仕方ないよねだって自分たちは悪くないんだもん。個人的にはただの「無関心の極み」というお話に行き着いてしまうのではないかと思うんですけど。

 事故の直接の原因は地震津波である。それらは原発関係者の想定外の規模であった。
 彼らの責任を問う声は強い。しかし、私はそれに与する気にはなれない。
 私もまた原発を支持したのだ(しかも戦時中のように言論統制がなされていたわけでもないのに)。その責任は負わなければならない。 

 戦争責任についても、同じことが言えるのではないだろうか。

 もちろん、一億総懺悔などというのは愚論である。責任はそれぞれの立場によって異なる。国民皆等しく反省しなければならないなどとは、立場の違いを無視した暴論でしかない。

 だが、責任が全くないなどということがあるはずもない。

 「だまされた」と言って、自らの責任を考慮しない者は、これからも何度となく「だまされ」ることだろう。

「だまされた」という言い逃れ

ただまぁこうした構図って別に日本だけのお話じゃないんですよね。むしろ民主主義政治を採る国であればほとんどどこでも多かれ少なかれ起こっているお話ではないかと思うんです。私たちに罪はなく、誰かのせいでこうなったのだ。すぐに「革命だ!」なんて口走ってしまう人たちはやっぱりそういう思考なんだろうなぁと。『悪い王様』さえ倒せば解決するのだと。
だったら民主主義なんてやめちゃえばいいのにとは少し思いますけども、しかしそうやって責任を逃れようとする気持ち自体は、やっぱり僕にも結構あったりするので大きな声では言えません。


大分昔の日記でも少し書きましたけど、それは現代のドイツ国民が「ナチスの罪」に対して感じていることと似たような構図ですよね。おじいちゃんはナチじゃなかった。

この調査でドイツの人々は、ほとんどの人が自分の家族がナチスに何らかの形で関与していたかもしれないという事を、全く否定している。そしてその中の2/3の人が同様に、自分達の両親あるいは祖父母は戦争中に大変苦労したと考えている。
しかし、自分達の家族がナチスの犯罪に直接関与していたと答えているのはたったの1%に過ぎない。

罪の匿名化 - maukitiの日記

あるいは最近のユーロ危機だとか、前ブッシュさんの時の一連の戦争とか。自分以外の誰かが悪かったんだと罪の匿名化に走ってしまう人たち。
多分に悲観論ではありますけど、おそらくこうした感情は私たちが民主主義政治を続けていく以上決して完治しない宿痾でもあるんだろうと思います。勿論それは私たち自身の無関心さが招いた罪という面もありますけど、しかし同時にまた私たちほとんどにとってそんな「めんどくさい政治」に正面から向き合う為の大量のリソースを投入できるほど人生に余裕があるとはとても言えませんよね。だからそうした人たちが結果としてその魔法の言葉・元気のでるおまじないを口走ってしまうのは避けられないんじゃないでしょうか。


本来であれば、こうした時にこそマスメディアの皆さんがその架け橋を担う役割だったのです。解りやすく解説し、広く議論を促す為の民主主義政治に必須の装置こそが。
しかし、それは見事に逆方向へと機能している現状。ご覧の有様です。
先ずそうした報道関係のアレさ具合からどうにかしなければ「だまされていたという言い逃れ」は決してなくならないんじゃないかと。実際それはある程度までは真実であるわけだし。私たちはかなりの面でそうした『報道』に依存している以上、そこで歪められてしまったらどうしようもない。
かといってそうした努力を個々人の努力だけに担わせるにはやっぱり負担が大きすぎます。なので当日記としては、しばしば、それに対して嘆いてきたわけですけど、ぶっちゃけあんまり期待していません。だって究極的に彼らも商売なんだし。きっと僕もその内部に居たら日々のサラリーの為に同じことをやっているでしょう。かといって国営やNPOにすれば良いかと言われるとそれも違うのだろうし。ということで全くそれが改善される世界が思い浮かびません。誰かが今すぐ人類全てに叡智を授けてくれれば良いのに。がんばれ頭の良い誰か。


そんな民主主義政治の限界について。全然歴史が終わってくれませんよフクヤマ先生。