いつまでたってもミュンヘンの悪夢が忘れられない

そういえばちょうど74年前の今頃はみんな大好きミュンヘン会談の時期だなぁと。74年経ってもあのアナロジーを忘れられない人たち。


「防衛力を持っていれば犠牲が防げる」なんていうのも思い込みである - あままこのブログ
ということで微妙に周回遅れで観測範囲にこういうお話がはいってきましたけども、うん、まぁ人生色々ということでそういう意見もあってもよろしいのではないでしょうか。個人的見解としてはいかがなものかと思う点もありますけども、しかしだからといってその意見を持つ人を相手に説得できるかというとまったく出来る気がしないのでお口チャックしておきます。


ただまぁここだけはちょっと異論があるかなぁと。

「防衛力を持っていれば犠牲が防げる」なんていうのも、思い込みじゃないかと。

「防衛力を持っていれば犠牲が防げる」なんていうのも思い込みである - あままこのブログ

それがほんとうに思い込みかどうかについてはコメントは控えるとして、僕ごときドシロウトが安全保障の専門家たちについて語るのもおこがましい話なんですけども、その前段ってより正確に言えば彼ら(広義の)リアリズムの思想の下に居る人たちって、むしろ「防衛力を持っていなかったから犠牲が防げなかった」と確信しているんじゃないかと思うんですよね。
より積極的な論理展開として「〜があったから成功するのだ」ではなく、「〜がなかったから失敗したのだ」というどちらかといえば消極的な論理展開から導かれているんじゃないのかと。結果としては似てるようでも、しかし全然違いますよね。彼らは強気な成功体験としてそれを語っているのではなくて、失敗の経験から来るトラウマとしての記憶こそが「防衛力を持っていなかったから犠牲が防げなかった」という確信に至らせているんじゃないでしょうか。彼らは「あった場合の」成功を保証しているのではなくて、むしろ「なかった場合の」失敗こそを保証しようとしている。
そしてその根本の一つには、やっぱり宥和政策の失敗が導いた人類史に残る惨劇があると。
実際、あの74年前の運命的な会談とそれが招いた帰結、というのはあまりにも物語としても教訓としてもよく出来すぎています。それがトラウマと教訓となり、そしていつしかアナロジーは無分別に利用され『神話』となってしまっている現状について。やっぱりそれはそれで批判されるべきテーマではあるのでしょう。宥和政策のあまりにも鮮烈過ぎる失敗体験と、それに支配されてしまう人びと。上記のお話ってそういうお話なんだと思っていたら全然違ってました。おわり。


気を取り直して本題。
皮肉な話ではありますけども、後世の歴史的評価としては一般にチェンバレン先生がヒトラーにほぼ一方的に屈服したこと自体は、それはそれで「当時の現実的判断としては正しい」と評価されてもいるんですよね。そもそも、あの時点でのイギリスの軍事的脆弱さを考えると「ドイツと対立する」なんていう選択肢は論外だったのです。もうあの時点では彼らには宥和以外の選択肢などありはしなかった。ドイツだって準備万端とは程遠かったものの、しかしイギリスはそれ以上に何の準備もしていなかったのです。
かくして必然の帰結として両者の宥和は成立し、そしてその数年後ヨーロッパ全土が地獄へと叩き込まれることになるのです。
まぁ結果論でいえば、大陸諸国はともかくとしてもイギリス本土は爆撃されただけで済んだので、少なくともイギリスにとっては宥和政策は成功していたと言えるかもしれませんよね。まぁそんなことを言ったら大陸の人たちに全力で殴られてしまいそうですけども。
去年の日記でも書きましたけれども、結局のところあのミュンヘン会談の教訓として学ばなくてはいけないのは別に「宥和政策がよくなかった」という点ではないんです。むしろリアリズムという観点からあの時の失敗の教訓を得ようとするならば、それは「なぜこんなになるまで放っておいたんだ」という点こそなのです。宥和政策そのものが否定されるのではなくて、ギリギリの所になってもまだ「宥和以外の選択肢を用意していなかった」彼らの失態こそが責められている。
故に、それは「抑止力=軍事力=防衛力がなかったからこそ彼らは失敗したのだ」という教訓へと繋がるのです。
だからこそそれは成功を保証するものではなく、失敗回避の為の担保として、そうした軍事力を最後まで手放そうとしない。それがあれば絶対に成功するなんてもちろん言えないものの、しかし、なかった時に失敗したことはやっぱり事実なのだから。宥和政策を責めるのではなくて、それを手放すことで、宥和政策「だけ」しか採れなくなってしまわないように。


宥和政策によって譲歩するのは別にいいんですよ。こっちが引いて解決するならば引けばいいじゃないか、というのは確かに一種の真理なのです。しかし、それをやるならば同時にまた「もしいつか譲歩できなくなった時に一体どうするのか」という戦略も用意しておかなければならないのです。
しかしかつてのバカなイギリスさんはそれを理解していませんでした。譲歩するだけして、それがどういう所に行き着くのか全く考えようとしていなかった。まぁそれは彼らの怠慢であると同時に、第一次大戦でのあの不毛で悲惨な塹壕戦の記憶が未だ生々しく残っていてその可能性を考えたくなかった、という同情すべき事情もあったのでしょう。
――どちらにしても結果として彼らは、無策のまま譲歩を重ねることで、ついには破滅を招いてしまった。あの時の彼らは宥和政策を採ったからバカなのではなくて、あの期に及んでもまだ宥和政策以外の選択肢を用意できなかったからこそ、バカだと批判されるのです。
所謂リアリストたちはそうした袋小路に陥ってしまうことこそを、成功要因ではなく失敗要因として、それを見ているのだと僕は思います。




よだん

翻って最近の日本でも「無駄に対立を煽る人たち」がよく槍玉にあがっていましたけども、確かにそれはその通りなのです。彼らはまさに「何も考えずに」ただ一瞬のカタルシスの為にそれを煽っている。ただ、それとまったく同様に、譲歩したら将来的にどうなるかまったく想定せずに「だた譲歩しろ」というのもまた同様に批判されるべきなのです。それこそあの74年前にイギリスが犯した致命的な失敗のように。
もちろん私たち日本が領土問題で譲歩することで、将来的に相手国の野心を和らげられると思っているのならばその線から正々堂々それを主張すればいいし、仮に日本が損をしたとしても同様の領有権問題を抱える南シナ海等でも良い影響があると考えているならば、やっぱりそうすればいいのです。
ただ何の見通しもないまま原理的に、対立しろと言い続けるのも、譲歩しろと言い続けるのも、まぁ結局はどちらも同じ地平に立つことになってしまう。何の代替戦略を用意しないまま対立を煽った末の悲劇と、何の代替戦略を用意しないまま譲歩を重ねた末の悲劇。やっぱり行き着く先は同じなんですよね。一次に行くか、二次に行くか、という違い位はあるのかもしれませんけれども。
――ということを歴史の教訓として理解していただければ幸いであります。なんかヤマもオチもないフツーの日記になってしまって反省。