こうなったら『NATO』に対抗して……『WPTO』だ!

西太平洋条約機構。どう見ても死亡フラグです。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36396
以前の日記から何度か書いてきたうちの定番の皮肉ネタ「東アジアで戦争を無くすような枠組みを創る=中国さんちを説得できるならノーベル平和賞モノですよねー」がFTで普通に語られているなんて。あの平和賞受賞はひどすぎるネタ潰しであります。

 結論を出すにはまだまだ時期尚早だ。重要になるのは、アジアの制度的枠組みを創設しようとする試みに対する中国政府の反応だ。

 中国は、少なくとも理論上は中国の台頭に応じて地域の秩序を再構築する必要性を認識した構想を支持する可能性がある。その一方で、パックス・パシフィカは単に変装したパックス・アメリカーナにすぎず、別名「封じ込め」だと結論づける可能性もある。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36396

まぁ現代の中国に対する諸問題ってぶっちゃけ戦前の日本のそれと同様なんだと思うんですよね。勃興する大国について。つまり現代中国の(かつての戦前日本のような)『現状打破主義』へ如何にして向き合えば良いのか? 
かつての私たちと同様に、彼らは既存の国際関係に不満がありそれをどうにかして覆してやろうと考えている。だからこそ最近の尖閣の所有権問題の根本にあるのは、既存の国際法などへの真っ向からの対決でもあるのです。既に定められたルールやシステムそのものに俺たちは納得していない。清の時代から苦汁をなめてきた眠れる虎の積年の恨み。
この辺はかつての失敗のように譲歩したら譲歩したで「相手を押せば押しただけ向こうは下がるんだ!」と勘違いさせてより重大な危機へと至ってしまうし、逆に締め付け過ぎると「じゃあルールそのものを無かったことにすればいいんだ!」と電球が頭の上でピコーンとしてしまうのでどうしようもないです。まぁ見事にかつての日本やドイツのことなんですけど。
「話し合い」や「対話」を訴えることは確かに素晴らしいことであります。しかしその時に、そもそも「話し合い」の前提にあるルールその物が間違っていると言われたとき、僕にはどんな顔をすればいいのかさっぱり解りません。まぁ最近の中国や韓国さんちのことなんですけど。

 1つ、分かっていることがある。空白は危険だということだ。アジアには、ノーベル平和賞に相応しい制度機構が必要だ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36396

欧州連合の仕組みをアジアにも、というお題目は大変理解できるものであります。現状の経済危機による行き詰まりを勘案しても尚、それは素晴らしいものであると僕は思っています。
ただやっぱり彼らのそんな意識を生み出したのは過去の反省であり教訓なんですよね。両大戦がもたらした絶望によってこそ、それが希望の光となったのです。もしあの二回の世界戦争が無かったらノーベル平和賞たる『欧州連合』は絶対生まれなかったとほぼ断言できます。ということはつまり――無邪気にそれを言う人が偶にいらっしゃいますけども、そんなにアジアの人々を絶望の底に叩き落したいのかと斜めに見てしまいます。
かくして現状でそんな枠組みを現状で作るのはどう考えても無理だよなぁと。やっぱり人は当事者になってこそはじめて学習できるわけだし。


NATOにロシアを加入させる」のと「中国込みの実際的な制度機構を作る」のでは、ぶっちゃけ前者のほうが楽なんじゃないのかと。かといってそれを抜きでやろうとすると「大同盟」であり「包囲網」にしかならない。そして歴史が教えてくれる所では、多くの場合で最後の一線を越えるのは「包囲される位ならいっそのこと」という地平こそが引き金になってしまう。それならまだ現状維持の方がマシです。だからあんまりFTさんは無邪気な人を――他人事だと思って――煽らないで欲しいかなぁと思ってしまいます。
がんばれ未来の子供たち。


みなさんはいかがお考えでしょうか?