これからの「記者の資質」の話をしよう

一握りの「プロの記者」の座を争うことになる人たち。


メディア新時代にも生き残るプロの記者、米コロンビア大研究 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
まぁ以前から言われていたことの再証明ではあるのかなぁと。文字通り『IT革命』がもたらすマスコミのみなさんへの影響。

 読者は多様な情報源を使用するが、報道機関はその合間を縫っていかなければならないと同研究は結論づけている。「慎重で詳細な分析がふさわしい場がある・・・また日常的な最新速報の氾濫からは距離を置き、長文記事で世界を描き出すのに適した場もある──しかしこれらの方法を数多くそして有効に活用できる報道機関は少なく、さらに読者が関心を持っているすべてのテーマについてこれを網羅できているところなど皆無である」

メディア新時代にも生き残るプロの記者、米コロンビア大研究 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

そうした淘汰の結果として、プロの記者である「真実を告げる者、意味付けをする者、解説する者」が生き残っていくだろう、記事は纏めています。
お話としては大変よく解るんですけども、しかしどれもこれも悲しいほどに日本のマスコミの皆さんが苦手とするところだよなぁと。大手新聞の社説などを見ているとやっぱり悲しくなってしまいますし。
一番目の「真実を告げる者」に関しては横並び大好き記者クラブがあるし、二番目の「意味づけをする者」に関してはネットの登場以来徐々に影響力を失いつつあるし、最後の「解説する者」に至ってはこれまで「素人目線を大事にする」するというよく解らない方針の元にやってきた結果ご覧の有様であります。


まぁその意味では、これも既に指摘されていることではありますが、やはり今後はニュースに際して『掲載紙』という看板ではなくより『誰が書いたのか』という要素が重要視される構図になっていくのでしょう。ていうか現状でも英米のメディアだと既に大体そんな感じですよね。
日本でも徐々に浸透中ですが、さっさとそうした報道になってもらいたいものです。バカなことを書いているなぁと思ってしまう人は一杯居ますけども、しかしその一方で面白いことを書いてくれる人もやっぱりたくさん居るわけだし。その割に「○○新聞だから」と一括りにされてしまうのは色々不幸な構図だなぁと思ってしまいます。それじゃ記者として誠実になることのインセンティブも糞もありませんよね。
それでも、今後は海外の人たちと真正面から競争しなければいけないのは、まぁガラパゴスな人たちにとっては大変そうだなぁと生暖かく見守っていきたいと思います。でもまぁこれまで散々「国際競争力が!」と煽ってきた方々なので本望かもしれませんよね。がんばれー。



さて置き、何気に興味深いと思ったのが次の点であります。

メディアにおける変化の一例として挙げられているのは、「ハフィントン・ポスト(Huffington Post)」のような報道サイトの登場だ。そうしたサイトは競合する他社から引用したニュースでコンテンツを「公正に」作成しており、引用での使用料もかからないという。

「ハフィントン・ポストの経営陣は、ウェブでの公正使用が意味するところを認識している。つまり(ウェブ上の)すべてが通信社的な配信であり、ワシントンポスト(Washington Post)紙やニューヨーク・タイムズNew York Times)紙の記事を引用し、それにコメントをつけたほうが実は読者にとって、APやロイター(Reuters)といった通信社と契約するよりも価値があるということである」

メディア新時代にも生き残るプロの記者、米コロンビア大研究 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

日本で論議を呼んでいる2ch系の「まとめサイト」も、構造的には上記と似たプロセスなんじゃないかと。そして読者のニーズに適切に応えた同時に、運営側のメリットでもあった故に、彼らはあそこまで増殖し繁栄し多くの人に受け入れられているのかなぁと。
そうすると、やっぱり「まとめサイト」もメディアの新しい変化――既存の法と新たなテクノロジーが交差する点――によって生まれたものの一つであるのかもしれませんよね。鬼子とも言えるかもしれませんが。