自由って、せつなくないですか?

手の中にある自由と、絵に描いた自由でしかないもの。


仏俳優ドパルデュー氏、ロシア市民権を取得 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
ということで「俺はベルギー市民になる!*1」とか言っていた人も最終的にロシアに向かったそうで。いやぁ逃げられる候補先が幾つもあって羨ましいお話ですよね。
時事ドットコム:高額所得75%課税は違憲=オランド政権に痛手−仏憲法会議
当時に書いて没にしたネタではあるんですけども、折角上記オチもついたようだし、ついでに良いタイトル案*2も思いついたの発掘。




一般に多くの人からは、しばしば、批判的に語られるお話でもある「金持ちたちが税の安い・環境の良い国へと逃げ出す」というありふれた風景。ただまぁ道義的な問題としては批判されることはあるかもしれませんが、法的にはやっぱり何の問題も無いわけで。『国籍離脱の自由』はまぁ基本的な人権の一つでもあるわけだし。
更に言えば、経済的合理性の面からも正しい行動であるとも言えます。そちらの方が税が安いのならば、堂々とそちらへ行けば良いんですよ。他に何かそこに居る強い理由が特にないのならば。


それが可能ならば好きにすればいい。
不可能な人? じゃあ一生そこに居ればいいんじゃないかな。


この議論において、結局行き着くのはそこなんですよね。移りたければ当然それは自由にすればいいんだけれども、しかしそんなことをホイホイ簡単に実行できる人なんて、むしろまったくの少数派でしかないわけです。
金があるか、(言語)能力があるか、コネがあるか。
よく日本でも「海外でも通用するスキルが云々かんぬんで、だから日本人はダメなのだ以下略」というお話があったりしますけども、そんなの何処の国だって同じなんですよ。金持ちや有能な人たちはどんどん海外に出て行って、一方でそれが不可能な人たちばかりがそこに留まる事になる。
素晴らしきグローバルな社会。この流れは皮肉にもグローバル化が進めば進むほど、それはより二極化していくようになる。その構図の最前線が、あの欧州連合だったりするわけで。ギリシャの危機なんてまさに典型で、地元の金持ちや有能な人たちは揃って逃げ出して、そして後に残される人たちはその「行使できない自由」を手にしながら、もう暴れるしかない。ああしてヨーロッパ内という移動が比較的容易で文化圏が近い彼らでさえ、言語や技能の壁によって、一定数以上の移動できない人たちがいる。まさに絵に描いた自由であります。
それをやる自由は平等にあっても、彼らにはそれを実行できるだけの基盤がない。足元を見られている、といってはそれまでではありますけども。


だからよく貧しい人たちほど所謂『愛国』的な方向に走りやすいとは言われていますけど、でもそれってある意味当然の帰結ではあるんですよね。
だってそうした人たちほど「自分の国以外」では生きてはいけないのだから。
金持ちや能力のある人たちには当然ある選択肢が彼らには存在しないのです。そしてリベラルな人たちがその辺の「選択肢の無さ」を無視してキレイ事の極致でもある「世界市民」「国を捨てろ」的なことを言っては猛反発される。そして保守派な政治家たちが選挙では勝利することになる。まぁよくあるパターンではありますよね。


結局のところ、その「交渉力」の有無こそが、更なる格差の二極化を生むことになる。どこにでも行ける人と、どこにも行けない人たち。自由な世界だからこそ二極化していく。嗚呼素晴らしきボーダレスの世界。


いやぁ自由ってせつないですよね。