最初から最後まで「総論賛成各論反対」から抜け出せなかった民主党

現実の政治について何か根本的に勘違いをしていた人びと。


民主 大敗の原因“トップの失敗連鎖” NHKニュース
ということで民主党の皆さんの反省会。うーん、まぁ、やる気があるのはいいことなのではないでしょうか。経験不足とわかっていながら敢えて「一度やらせてみた」それを教訓としてさえも遺せないのであれば、それこそこの3年間は一体なんだったんだということになってしまいますし。
時事ドットコム:民主、対決路線に傾斜=輿石氏主導、党内に不安も−同意人事
民主迷走、同意人事で「抵抗野党化」進む : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
一方ではそんな(政権与党の経験を経て変わろうとする)民主党を「与党ボケ」していると言い切るお爺ちゃんもいらっしゃるわけですけど。実際、前回のあの『抵抗野党』だった民主党のやり方で政権を獲れたのだからもう一度同じことをやればいいのだというのは、確かに正論ではあります。心底有権者は舐められているとも言えてしまいますけども。


ともあれその反省の中身について。

それによりますと、政権運営の問題点として、▽政治主導を目指し、官僚主導からの脱却を図ったが、官僚主導を否定しただけで不毛の対立を引き起こしたうえ、▽党運営でまとまりを欠いて最高幹部が分裂し、小沢氏らが党を離れる結果を招いたとしています。
また、衆議院選挙に大敗した原因について、▽鳩山政権でのアメリカ軍普天間基地の移設問題や、▽菅元総理大臣の消費税を巡る発言、それに▽野田前総理大臣が衆議院の解散時期を見誤ったことなど、「党のトップによる失敗の連鎖が、期待はずれの政権というイメージを与え続けたため」と分析しています。

民主 大敗の原因“トップの失敗連鎖” NHKニュース

まぁ「トップの失敗」というのには頷かざるを得ませんよね。
個人的には、結局、特に最初の二人について、現実の政治についてなにか根本的に勘違いしていたのではないかなぁと思うんですよね。つまり、現代民主主義政治における政治権力の意味を。
以下「民主党の失敗」についての個人的で適当な雑感。



もちろんそれは大統領制か否か等でも異なるお話ではありますが、何故民主主義政治における政権に関わる政治家たちが力を持っているのかと言えば、つまるところそれは「ルールを決める決定権」を持つからこそ、であるわけです。彼らはシステムや制度――つまり『法』の決定権を持つからこそ、一般人よりもパワーがあるとされるのです。
そうやって地道にシステム=ルール=法を作ることから進めることで、一般に政治家たちは個人の理想を実現するのです。
――ところが、民主党政権ではそれが悲しいほど理解できていなかった。
彼らはただその理想を叫ぶことで、挙句には自らにそれだけのカリスマ性がありそうすることで、現実を直接に変えられると勘違いしていた。彼らが始めなければいけなかったのはまず理想に沿う形でルールを決めることだったのに。
しかし、彼らはその(理想に向かう為の)ルール作りを見事に軽視していた。そんなものは後からついてくるとばかりに、ヴィジョンを語れば後から現実がついてくるのだと。そんなことあるはずなかったのに。


どちらにしてもそれは、現代の民主主義政治において致命的な勘違いと言っていいでしょう。そうやって一個人の思惑だけでで政治が動かないようになっているからこそ、現代の洗練された――そしてしばしばしば鈍重とされる――民主主義政治であるんだから。
なのに彼らはそんな基本的なことを悲しくなるほどに理解していなかった。だから彼らの「道程なき理想」はただただ虚しく響くのです。


「総論賛成各論反対」なんて昔から言われている話ではありますが、その素晴らしき最終目的はともかくとしても、しかしその現実的な手段になると途端に合意が難しくなるのは、もちろん民主党に限った話ではありません。あの小泉さんの郵政改革なんかもそうだったように、その細部に踏み込もうとすると途端に抵抗勢力が沸いて出る。そのこと自体はあって当然の政治風景なのです。だから自民党だってその点ではかなり似たようなものだった。
ただ、民主党はそれが「特に」ひどかった。
その理想への基礎であるルール作りさえまとも出来ない彼ら。かつて小沢さんが捨て台詞的に「政権を担うレベルに達していない」と言っていましたけども、その点からすれば確かにその通りだったのです。まぁ多分にその元凶の一因は彼にも責任があったと思うので一体何を言っているんだ、という話ではありますけど。


結局、最初から最後までずっと、彼らは足元の民主党内でさえ纏まることができず、そしてだからこそ、その各論に踏み込むことができなかった。かくして当然の帰結として「何も決められない政治」へと陥った。
何故民主党政権はこうなってしまったのか?
について『鶏と卵』な話であり、僕としてもどちらが先にあったのかまだよく理解できないのですが、ずっと「寄り合い所帯」と呼ばれてきた民主党自体の抱える宿痾ではあるんですよね。ルールを決められないからこそ、ヴィジョンを語ることに必死になったのか。あるいはヴィジョンを語れば、ルールなんて後から着いて来ると自分のカリスマを確信していたのか。


この先生きのこる為にも、民主党は是非ともそこをクリアして頂きたいなぁと思う次第であります。だってそうじゃなきゃこの三年間の経験は一体何だったのかと悲しくなってしまうじゃないですか。
ザ・コンコルド効果。


がんばれ民主党