『戦う民主主義』的な風景

「自由と民主主義の敵は排撃しよう!」


http://www.asahi.com/national/update/0329/TKY201303290464.html
あわや乱闘… 「朝鮮人帰れ」「ネットに帰れ」新大久保でデモ衝突 : J-CASTニュース
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左派活動家と在特会が結託して新大久保で業務妨害
わーなんか盛り上がってるー。でもまぁあんまり迂闊な事を言うと両サイドからチャージ食らってしまいそうなのでコメントは差し控えるということで。公言するほどの覚悟も関心も足りない。

弁護士の神原元氏が「本日の新大久保、カウンター側の市民は、軽く600は超えていたのではないでしょか?ザイトク会は、200人弱。ヘイトスピーチは、市民の反対の声にかき消されました。市民の良心、良識の勝利です。今日は、民主主義の勝利の日として、記憶される日になるでしょう。」と言っている。「法曹が言う勝利は、数で封殺する事なのでしょうか?」とコメントしたら即ブロックされた。

左派活動家と在特会が結託して新大久保で業務妨害

ともあれ、脚注のこの顛末は中々面白いなぁと。数で封殺するのは正しいのか? と言われてブロック。
日本ではあまり馴染みがありませんけど、それこそ堂々と『戦う民主主義』でも標榜すればいいのに、とは端から見ていて少し思ってしまいます。ただそれも突き詰めると「法によって自由を一定程度まで制限する」という権力側にかなり都合のいいポジションとなってしまうわけなので、特に左派の皆様にあっては色々ジレンマがあったりするんだろうなぁと。
その自由の範囲について。
私たち日本では、幸か不幸かはともかく、ヨーロッパなどに比べると議論してこなかったのはやっぱり事実であるわけで。ナチやファシズム全体主義には人権は無い、つまり『戦う民主主義』であると。潔いといえばその通りでありますよね。僕のような世代にとっては先に竜破斬な人を思い出してしまいますけど。
その放置のツケとして、こうした曖昧な「市民の声(数)」の大きさが勝負を決めるというなんだか愉快な構図へ。


まぁ一周遅れと揶揄や自虐されがちな日本の「民主主義社会のあり方」についての議論も、これで少しは進めばいいんじゃないでしょうか。たぶん。