「バカしか選択肢になかった」という二度目の喜劇

反省だけならサルでもできる。彼らというよりは、むしろ自戒を込めて。


「小沢氏がこれほどひどいとは」民主党“大反省会”
「大風呂敷を広げた」「準備が十分でなかった」民主の「公開大反省会」の発言要旨+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
民主、公開大反省会は大失敗!! 他人のせい連発で「良くなかった」9割以上 - 政治・社会 - ZAKZAK
先日の日記で頂いたコメントから思い出したお話。前政権を担っていた民主党が反省会をやっていたそうで。

 民主党・菅元総理大臣:「(小沢氏は)自分の政治的影響力が一番大きくなるには何を言えばいいかと、それがすべての判断基準になっている。(政権交代前から)傾向は分かっていたけど、これほどひどいとは思わなかった」
 さらに、菅元総理は東日本大震災が発生した際、自民党に呼びかけた大連立が実現しなかったことについては、「解散を優先するのが当時の自民党のスタンスだった」と振り返りました。また、枝野元官房長官は、2010年の中国漁船衝突事件ですぐに映像を公開しなかった経緯を釈明しました。
 民主党・枝野元官房長官:「海上保安庁のいろんな動き、能力については、現場の映像が出れば相手側にも見える。別に隠ぺいしようと誰かがしていたわけじゃなくて」
 長妻元厚労大臣は、「自民党は官僚を熟知している秘書や党職員が多い」と述べて、官僚との協力が重要という認識を示しました。

「小沢氏がこれほどひどいとは」民主党“大反省会”

うん、まぁ、なんというか、心底反省していないんだなぁと。
自民党や官僚云々するのは論外でありますが、しかし小沢さんの責任について言うのはまぁまだ解るんです。結局のところ、それは一つの失敗の象徴でもあるわけで。
つまり、民主党は徹頭徹尾、自身の身内をまとめ切れなかったなかった。だから彼らは党内で議論はできても、現実的な目標を設定することができなかったし、生み出せるのは何となくふわっとした理念しか出せなかった。
一方で、その逆に理念などどうでもよくてひたすらに実益だけを追求した、のが小沢さんであったわけです。理念などどうでもよくて政治的影響力を肥大化させることだけを目的にしていた彼。だから今になって小沢さんの文句が口からでてしまう。しかしそんな小沢さんはある意味で、典型的な民主党の申し子でもあったわけで。
選挙にさえ勝てれば後は概ねどうでもいい人と、理念さえ打ち上げれば現実がどうであろうと概ねどうでもよかった人びと。
両者が上手くあわさって中和すれば上手く回ったのかもしれない。しかし水と油な彼らは見事に分離した。
――故にそんな彼らが政権獲得後に運命の如く迷走していったのは必然でもあったのです。
「小沢さんがあそこまでヒドいとは思わなかった」確かにその反省は限りなく正解に近いのです。ただ、そのもう一歩先にある、小沢さん個人ではなく、その小沢さんの(写し鏡でもあった)性質にこそ問題があったことに気付き今後の教訓としなくては、まったく意味のない「反省」でもあります。
別に実益だけを追求する企業家か、あるいは社会改革を目指す運動家をやりたいのならばそれでもいいんですよ。しかし政治家であろうとすればこそ、むしろ理念と現実を折り合いをつけることこそが『政治家』の本分であるはずなのに。
彼らは二重の意味で政治家のレベルに達していなかった。






ともあれ、しかしやっぱり個人的には民主党――というかどこかマトモな野党、には頑張ってほしいとも思うわけで。結局のところ、今回の政権交代に伴う私たち有権者にとっての『反省』というのは、それこそ前述した「民主党における小沢さん」の構図と同じなのです。
――問題は、バカな民主党という一政党だけにあるわけでは決してない。
結局のところこれは現代日本の政治状況の構造問題でもあるのです。「そこそこ」まともな与党としての能力があるのが自民党しかいないという点こそが。いつかの時代のように再び自民党が連続して何十年政権を担い続けるということは、能力的にもそして私たちの国民感情の点からも、最早論外でもある。だから、必ず、近い将来、再び自民党以外の別の政権与党の出番がやってくるでしょう。
しかしその代替が全く用意できない。
これこそが私たちの悲劇であり、そして、喜劇なのです。
こんなことはあの非自民政権が出来た1993年に実感したはずなんですよ。大事なのは政権交代した後、まともな政権運営を出来るだけの能力のある野党が存在するべきなのだと。しかし、あれから15年近く時間があったにも関わらず、結局、まともな影の内閣を作ることはできず、再び(半ば)解っていながら無謀な選択をせざるをえない状況にまで踏み込んでしまった。
前回は多党の連立政権で失敗したのだから、次は二大政党の一方に単独でやらせれば上手くいくにちがいない、なんてバカげた勘違いのまま突っ走った結果がこのザマであるのです。その責任は政治家と有権者とマスコミ、比率はともかくとして、やっぱりそれぞれに存在しているのでしょう。そしてだからこそ、この三者は残りの二者が悪いとばかりに責任を押し付けあっている。


このままでは近い将来――二度あることは三度あるとばかりに――実際には政権担当するだけの能力のない政党でありながら、しかし選択肢がない以上解っていても衝動的にそれを選ばなくてはいけなくなってしまう。
問題は「バカを選んでしまったこと」にあるわけじゃない、そもそも「バカしか選択肢になかったこと」こそが致命的な失敗だったのです。


一度の失敗はまだ悲劇として語られるでしょう。しかしこうして今回の二度目の失敗は、まさに喜劇でしかない。
果たして三度目は?


みなさんはいかがお考えでしょうか?