省エネを目指し効率を良くすると、しかし全体の消費量は増えていく、というジレンマ

『ジェボンズパラドックス』について。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38388
ということでエコノミストさんによる「需要的な意味でピークオイルを迎えるよ!」というお話。いや、まぁ、うーん、確かに一つの意見としてはありかなぁとは思いますけども。

 当然のことながら、石油の「スーパーメジャー」やIEAの意見はこれとは異なる。両者は、新興国のほとんどでは、車の所有台数や1人当たりの走行距離で米国と肩を並べるまで、まだ長い成長期があると指摘する。

 しかし、豊かな国々の過去から、急成長を遂げているアジアの将来を推測するのは、愚かなことだ。車両の燃料効率規格を厳しくして燃料需要を減らすという欧米の環境政策は、新興国でも採用されつつある。

 中国は最近、独自の燃費規制を導入した。中国政府が輸入石油への依存度を減らすことを決意し、国内の運輸システムをハイブリッドに「跳躍」的に転換する政策を強制的に推進したなら、石油の需要はさらなる下落圧力にさらされることになる。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38388

新興国は、先進国が通ってきた愚行を真似したりしないだろう、なんてとはとても思えないんですよね。人間の歴史から学べることは、人間は歴史から学ばない、ということである。インドやブラジルなんかを見ても、より短期的に問題となるだろう公害などの環境破壊はどう見ても私たちの後を追っているようにしか見えないわけで。そして地球温暖化問題の解決が難しいように、そこへ先進たる人々が上から目線で注意をしようとすると「自分たちのやってきたことを棚に上げて、新興国を非難するなんて傲慢だ!」と言われてしまうのであります。ザ・南北問題の最前線。
その意味で、かつてバカだった先進国を見習って新興国がそんな意欲的な環境政策を採るようになるのかというと、まぁあんまり同意できるところではないかなぁと。個人的には特にお隣にある「あの」中国さんちが、そんな進歩的で跳躍的な政策やるとはほとんどまったく思えないのですが、しかしこうして素朴に中国に期待してしまっているエコノミストさん。認識と違いというかなんというか、そりゃまぁイギリスから距離あるから仕方ないよね。まぁ私たちには私たちなりの中国観があるように、彼らには彼らなりの中国観があるのでしょう。




さて置き本題。

 もう1つの大きな変化が、自動車技術の分野で生じている。エンジンと車の設計の急速な進歩が、石油の優位を脅かしている。とりわけ、内燃機関そのものの効率化が大きい。ガソリンエンジンディーゼルエンジンの燃費は向上する一方だ。車体に使用される素材は、ますます軽量で丈夫になっていく。

 天然ガス車や水素燃料電池車だけでなく、電気自動車とハイブリッドカーの人気が高まっていることも、石油の需要に影響を与えるだろう。

 米シティバンクのアナリストらは、乗用車とトラックの燃料効率が年平均2.5%改善されていけば、石油の需要は十分抑えられると計算している。その予測では、今後数年のうちに日量9200万バレル弱というピークが訪れることになる。技術系コンサルティング企業の英リカルドも、同様の結論に達している。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38388

「効率化が進むことで消費量が押さえられるよ!」というお話。でもまぁ歴史及び最近の経済成長理論が教えてくれる所では、効率化が進めば進むほど、むしろ需要はより喚起されていくものなんですよね。
つまり『ブーメラン効果』『ジェボンズパラドックス*1』『ハゾーム・ブルックス仮説』と呼ばれるもの。


元々その理論の発端となったのは、18世紀の終わり頃、偉大な発明家であったワット先生が「より」効率的な蒸気機関車を発明した時代に遡ります。そこで登場した新しい蒸気機関車は、当時予想されていたこととは逆に、むしろ石炭の消費量をより増やすことに繋がりました。同時代に生きていた経済学者ジェヴォンズさんは、その構図を見て、効率が上がることで石炭を安く使えるようになったので、需要が喚起された、と気づくのです。
ここから時代を経ながらその理論は発展していき、ハゾームさんやブックスさんを経て、ロバート・エアーズ先生による現代における新しい経済成長理論の一つである「熱力学の効率の向上こそが、経済成長を促す基本的要因である」という主張へとたどり着くのです*2。この辺の詳しいお話については僕には手が余りまくるので詳しい方に是非。


ともあれ、まぁ個人的な私たち自身の生活の変遷を振り返ってみても、結構身に覚えのあるお話ではあるんですよね。たとえば私たちを取り巻く個々の家電製品は改良を重ねることで、そのほとんどどれもが数十年前とは比べものにならないほど『省エネ』になっているわけです。でも一方で、私たちが使うエネルギー=電力の総量として見れば、それはもう増えまくっているわけで。
毎日次々と生み出されていく新製品は、徐々に効率化が進みやがて一般市民の手の届く「お手頃な」存在となった時点で、その総需要は爆発的に大きくなる。個々の効率化と、全体の消費増。これまでもそうだったように、車が「より」安く走れるようになっていくのならば、そりゃ今後も同じく乗る人も増えていくでしょう。
かくして(基本的には)、消費は常に効率化を上回る。


まぁもちろん、上で「(基本的には)」とエクスキューズしたように、そこで神の手によらない人為的な介入をすれば話は別かもしれません。政府による強制的なエネルギー需要のカット。現代版「欲しがりません勝つまでは」的な何か。まぁ平時の民主主義国家においてそんなことが出来るとは個人的にはとても思えませんけど。だって少なくとも経済的制約の許す限りは自由にエネルギーを使う権利は、現代先進国では基本的人権の一つにさえなりつつあるわけで。
――だから一般には「進歩的」とされる(妥協や骨抜きにされていない)劇的な環境保護政策って、むしろ強力な独裁体制のほうがずっと成立しやすいんですよね。
その意味では、『大躍進』とか『一人っ子政策』とかやってた中国さんちなら出来るかもしれないね。割り当てされたエネルギー使用量を越えると懲罰的な罰金を受ける世界。どっかの閉鎖環境でディストピアなSFにありそう。もしかしたら上の中国さんに期待する発言ってそういう意味が込められていたのかもしれない。違うかもしれない。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:ジェボンズのパラドックス - Wikipedia

*2:ここまで参考、デイヴィッド・ストローン『地球最後のオイルショック