シリア内戦の記憶が辿りつく場所

それは将来周辺国にどのような影響をもたらすのか?



シリア 衛星写真で破壊分析 NHKニュース
ということでシリアさんちはほんともう絶望するしかない、というほどの内戦模様であります。町がなくなっちゃうよぉ。そろそろ死者数も12万人を越えたそうで。
最早こうした事態まで至ってしまうと、あの世界大戦のように、伝統的な戦争の定義を超越しつつあるように見えてしまいます。「戦争とは外交の延長であり、相手に自身の政治的目的を強要するためである」という次元では済まなくなってしまっている。
――つまり、そこで起きているのは政治的目的の強要ではなく、相手の殲滅である。「(外交の延長である)戦争のその更に先」にあるもの。いつか見た総力戦。
米ロ、相違点乗り越えシリアなど紛争問題で一致した対応策見出す必要米国務長官| マネーニュース| 最新経済ニュース | Reuters
もしこれが完全に内戦という形で完結していれば少しはマシだったかもしれません。しかし内戦と呼ぶにはあまりにも公式非公式に各国は影響力を発揮しているし、かといって積極的にその戦争を止めようともしない国際社会は、かなりの面で「共犯」と言っていいのかもしれません。
見方を変えれば、アラブ版第一次世界大戦、のような何かに至りつつあるんじゃないかなぁと。
アラブに冬 - maukitiの日記
この辺は先日の日記で「アフガニスタン戦争はその後のアラブ世界に対欧米武力闘争という概念を拡散させた」というようなことを書いた際になんとなく考えたお話であります。ただ、そうした周辺国へと『戦争の記憶』を拡散させた典型的な戦争といえば、それこそ元祖でありヨーロッパ版とも言うべき戦争があの第一次世界大戦だったわけで。


第一次世界大戦は、ヨーロッパ諸国の国民たちの間に決定的な分断をもたらしたのです。敵と味方に分かれ、政治的目的のためというよりも、むしろ相手を殲滅することを目的に戦った。そんな泥沼のヨーロッパ戦線で戦った兵士たちは、その前線から市民生活へ帰還した際に、その悲惨な戦場で生きる為に培った概念までも否応なく持ち帰ったのであります。戦場で暴力によって簡単にもたらされる死や破壊、戦友との絆こそが最優先であり「それ以外」との他者との明確な区別=集団帰属意識、相手を潰滅しようとまでする憎悪、敵と味方という二元的であまりにも単純な世界観、軍隊生活における絶対的な権力構造への慣れ、そして敵国の人間は決して「同じヨーロッパ人なんかではない」という確信を。
ヨーロッパは第一次大戦という総力戦によって、ただ物理的に引き裂かれ弱化しただけではなく「ヨーロッパ精神」そのものにダメージを受けたのであります。歴史を通じておそらく最もヨーロッパが分裂していた時代、それは国境という面だけではなく、人々の「ヨーロッパ人」という意識からもそうだったのです。
かくして第一次世界大戦が終わってもその根本的な憎悪は消化されることなく温存され、故に『ヴェルサイユ条約』は表向きには和平条約であったものの、実際には休戦協定に過ぎない、と揶揄されるのです。結局、当時の人々の内心では何も決着していなかった、ただ疲れ果てて一時的に戦争を止めただけ。
もちろんこうした事のみが、更なる決定的破壊をもたらした第二次大戦の決定的要因となったわけではありませんが、しかし、少なからず影響を与え負の連鎖の元であったのは間違いないでしょう。第一次世界大戦がもたらした、ヨーロッパ世界の決定的な分断。




現状のシリアにおける、政府軍と反政府軍の対立・民族対立・宗教対立というただの『戦争』とは違う殲滅戦という致命的な記憶は、今後のアラブ世界へ――ヨーロッパにとっての第一次世界大戦と同じように――拡散していってしまうのではないかなぁと見ていて思ったりします。
元々存在自体が不確かで絵に描いた餅にすぎないと冷笑されていたものの、少なくなくとも建前としては機能してきた『汎アラブ主義』の、決定的な断絶。


みなさんはいかがお考えでしょうか?