『アラブの春』の後、しかし見習うべき国家はどこにもなかった

最低限の(共通した)目標・行き先・国家のあるべき姿・ロールモデル、の不在による悲劇。



「アラブの春」以降の中東諸国、成熟途上の政治風土が混乱招く 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
まぁそれを言ったら身も蓋もありませんオチ。

 民衆蜂起が話し合いによる解決につながったのは、アラブ世界でイエメンのみだ。同国では政治的和解プロセスの一環として、国連(UN)の仲介のもとでできる限り最善の道を進んでいる。しかし9月に終了する予定の国民対話は、特に南部の独立という難しい問題が原因で行き詰まっており、来年2月に予定されている選挙が実施できるかどうかは不透明だ。

 ハケーム氏は、「アラブ世界の政治風土が、民主主義の仕組みを受け入れるだけでは不十分だということを理解し、寛容や受容という価値観を容認するのに数十年かかるとは言わないが、数年はかかるだろう」とコメントした。

「アラブの春」以降の中東諸国、成熟途上の政治風土が混乱招く 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News

もちろんそこには色々な要素が存在していて、単純にどれか一つ欠けていたから、と説明できるモノではないのでしょう。政治風土、政治参加の伝統、寛容や需要の価値観などなど。
――ただそれでも、現状の『アラブの春』を大きな流れとして見ていて個人的に思うのは、彼らが政変の後に、一体「どこへ行きたいのか」「どんな国にしたいのか」という最低限のコンセンサスさえ得られていないのがやっぱり大きな理由の一つではないかのかなぁと。『アラブの春』ってそれがイマイチ読めないんですよね。別に民主主義国家でも、あるいはイスラム国家を作りたいならばそれでもいいんですよ。アラブ世界の真の不幸は、そこに目標とすべき国家が世界中の何処にも存在しないことだと思うんです。ある意味では、彼らはあまりにも先――現代世界では誰も見たことがない場所を目指そうとしているからこそ、こうして致命的に混乱が続いてしまっている。




別に劇的な政変の後に、国家内で相争う諸政治勢力の目的地が完全に一致している必要はないんです。ただ、それでも歴史を見ると大方の国々は劇的な政変の後に、それぞれ国家が目指すべき方向性というのは最低限あったわけで。つまり、一体自分たちはどのような国家になりたいのか? という主流の共通意識が。例えばヨーロッパではより先を行っていた西欧や北欧の先進ヨーロッパのようになりたいと考えていたし、アジア世界では日本などをモデルにしてより豊かな国を目指そう、と考えられていた。もちろんそこには各国それぞれにアレンジを加えた上で、という前提があったものの、概ね基礎となる大目標は一致していた。
個人的にその好例だと思うのが、ソ連崩壊前後にやってきた中東欧諸国における共産党一党独裁後の政変の姿であります。もちろん中にはユーゴスラビアアルバニアの様に決定的に分裂し混乱に陥る国もあったりしたんですが、一方ではチェコポーランドハンガリースロバキアなどは「自分たちは正統なヨーロッパの一員である」という確信の下、国家内の諸勢力がそれはもう一致団結して欧州連合入りを目指していったのです。彼らはあまりにも明確なロールモデル――欧州連合に加盟できるだけの自由経済民主化――を明確に指針として持っていたからこそ、ああして見事にその劇的な政変後の混乱を上手く乗り切ることに成功した。
まぁそうやって目標があればその後の協力や努力もしやすい、というのは素朴に理解できる構図ではあります。
――ところがアラブ世界にはそれがない。イランは宗派的にも政治的にもアレだし、トルコは半分ヨーロッパ化がメインだし、サウジなんて未だに王制だし。あの『アラブの春』の後、しかし彼らには見習うべき国家など世界のどこにも見当たらなかった。まったくの手探り状態。そりゃ混乱するのも当然ですよね。


彼らは遅れているのではなく、むしろ進みすぎているからこそ、混乱している。その意味では彼らの現状の苦難はとても同情すべき点があるのかなぁと。
みなさんはいかがお考えでしょうか?