ウェストファリアに、ただいま

冷戦の二極化からアメリカ一極へ、その後多極化をすっ飛ばして、むしろ無極化へ。



結局同じ場所に辿りつく二人の新旧米国大統領 - maukitiの日記
ということで前回日記の続き的なお話。


さて、冷戦終結後の1990年代から本格化した「国家主権の重要さよりも人道的介入が優先されるべきだ」という概念は紆余曲折を経ながら、アメリカという国家に潜在的にあった例外主義(自分たちには他国とは違う選ばれた使命がある)と結びつくことで、イラク戦争によってある種の頂点に達したわけであります。ブッシュさん時代にだけそんな単独行動主義があったのかというと、別にそんなことなくて、それは歴史的にアメリカという国家にずっとあったものでわけで。ただ単純に彼らはその時に「支持がなかった」というだけでありました。
ともあれ、結局イラク戦争はご存知のとおりの失態によって、それまで積み重ねてきた国際主義を、更にはアメリカだけでなくヨーロッパまでも巻き込む形で、地に落としたのでありました。それはまぁ開戦理由などの様々な要因があったりするんですが、私たち平和を愛する民主主義諸国民たちからすれば、時間の問題だったとも言えるのかもしれません。
軍事介入でカネを使うなんて無駄でしかない、という確信。

 西側諸国が抱える大きな問題は、イラクアフガニスタンが残した麻痺状態だ。それを、欧州の景気の停滞と、米国の悪質な党派政治が悪化させている。西側諸国の市民が戦争にうんざりしていることは、誰もが知っていた。だが、どれほどうんざりしているかは、オバマ大統領とキャメロン首相が問うまで、誰も知らなかった。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38758

かくしてあのイラクアフガニスタンの惨状を目の当たりにした西側諸国民たちは、シリアでは皮肉にも一致団結する形で介入にノーを突きつけたわけです。
今回のシリアの危機が、間接的にイラク戦争の教訓によって導かれたように、おそらく次はシリアの教訓によってまた別の危機が導かれることになるでしょう。つまり、良くも悪くも私たちは再び21世紀の世界はウェストファリア的な世界観の元に生きていくことになるのだと思います。とてもすばらしく厳重に抑制された外部からの軍事介入。その内部で頼れるのは自分だけ。それは人権問題から内政干渉を嫌うロシアや中国が望む世界観ではありますが、現代となってはシェールガス革命や軍事費縮小を望むアメリカも、欧州連合がとりあえず軌道にのっているヨーロッパも同じ地平にたどり着きつつあるのでしょう。


余所から口を出されたくない国々と、余所にカネとヒトを出したくない国々が手を結んだ結果生まれる、懐かしのウェストファリアな風景。やっぱり「やり過ぎ」「やらな過ぎる」を繰り返す中での、必然の帰結なのかなぁと。


正直な所こうした現状について、個人的にあまり良い予感はしませんけども、しかし現状の国際的な流れがそうなっていく以上、私たち日本も適応していくしかありませんよね。
こうした状況を考えると、より一層、次の危機が日本の近くで起きないことを祈るばかりであります。