任天堂の倒し方

知ってるだけじゃダメだった。


日本発ソーシャルゲームの命運は? (1/2)
ソーシャルゲームは終わらない。競争は楽しいし、煽られたって、勝てなくたって良いじゃないか。
辺りを見ていて考えたソーシャルゲームの未来について。昨今は苦戦が囁かれるようになった彼ら。

言い方を変えると、この仕組みでは、まずカジュアルユーザー(無課金ユーザー)が大量に参入すればするほど、協力や対戦が面白くなり、ゲーム自体が活性化する(ネットワーク効果/宣伝効果)。そうなると、そのゲームに高額支払者が参入/登場し、上記の循環ができあがり、このビジネスモデルが成立する、というわけだ。すなわち、このモデルにはガチャ課金のような、なんらかの高額課金、すなわち『価格差別』は必須ということになる。

日本発ソーシャルゲームの命運は? (1/2)

まぁ結局のところ、こうしてゲーム業界を席巻したソーシャルゲームの『課金アイテム』の機微って「時間を買わせる」点にあるんですよね。本来ただの娯楽に過ぎず、ひたすら時間を消費するだけの存在であったそれが、しかし課金アイテムによってその「プレイ時間を大幅に短縮できる」と錯覚させることこそがキモだったわけです。
日常生活において存在する中途半端な隙間の時間を狙ったゲームを用意し、そしてそこで更にその僅かな時間を倍増させる(と錯覚させる)課金アイテムを用意する、まぁ確かにそれは素晴らしくよくできたシステムではあります。


そもそもマーケティングの世界では結構昔から言われてきたお話ではありますが、忙しなく動き続ける現代を生きる私たちにとって、かつての時代と比較してそれはもう『時間』の価値は相対的に上昇しているんですよね。ずっと多くの選択肢が採れるようになった一方で、しかし今も昔も一日は誰にとっても24時間しかないわけで。
少なくとも平均的な正規労働に従事する人々にとって、金を払ってでも時間が欲しい、というのはほとんど何処の世界でも見られる光景であるのです。
だからこそ私たちはエンターテインメント・娯楽を楽しむ際においてすらも、より効率的な満足を得ることを追求せずにはいられない。ネットで情報を事前に集めたり、それこそ攻略wikiのチェックに励んだりする。そして追加の金を払って「より」大きな満足を得られるのならば、それを躊躇わない人はまぁ少なくなかったりするのです。


こうした背景を理解した上で、きちんと『課金アイテム』が実装されていればそれでも良かったんでしょうけど、でも現状はそんなことまったくありませんよね。(ユーザーが内心望んでいるであろう)時間を買わせるどころか、ぶっちゃけただの札束殴り合いゲームにしかなっていない。それでも昔のようにトレードシステムがあればそれが微妙な出来でも実現できていたはずなんですよ。そこにガチャをはじめとする課金アイテムの事実上の交換市場が成立さえしていれば。
――ところがまぁ現在ではそのトレードがRMTなどの諸事情あって軒並み壊滅状態だったりするわけで。
かくしてきちんと無課金ユーザーと課金ユーザーのバランスがきちんと取れている「真っ当な」ゲームだけが生き残る構図となっている。まぁそれはそれで健全な姿かもしれませんよね。


ただ時間を消費させるだけの娯楽というだけでなくて、時間を買わせる事で、もう一歩先に進んだ彼ら。確かにそれは任天堂を倒すやり方であったのかもしれません。
でもまぁそれを知っていることと、現実に実現できるかどうかはやっぱり別問題だったよね。という悲しいお話。