概ね「何もないよりあった方がマシかもしれない」程度

なんとなく特定秘密保護法案について。


政府はどうして「秘密」を持ちたがるのか? | 冷泉彰彦 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
冷泉先生の「特定秘密保護法案」についての熱いお言葉。まぁ個人的なポジションとしては――だからといって別に誰かを説得しようとするつもりもないのでやっぱりその是非については許してくださいいやマジで――消極的賛成するところではあるんです。ないよりはあった方がマシだろう、と。
それこそ個人情報は保護されるべきと素朴に考えるとの同じくらいには、秘密を保護する為の制度も必要だろうと。
現状で扱いが曖昧なまま機密が歴史に埋もれていったり、あるいは意図的に廃棄されたり*1するよりは、こうして公にルールを決めて後の時代に再検証できるようにする制度は必要だと思います。少なくとも一部機密を特別に指定することは、その機密の存在そのものを認めることでもあるわけで。同時に公開時期をきちんと決めておけさえすれば――まぁ60年はあまりにも長過ぎると思いますけど――それは確実に文書として保全され将来公開されることが約束されるわけだし。欧米各国のそれと比較して遅れているとしばしば指摘される日本の公文書関係の保存の役にも立つのではないかなぁと。
後の理由としては、国際的な役割としては、まぁやっぱり『建前』という面で重要ではあるのだと思います。少なくとも何も制限がないままに「僕たちは機密を守りますから!」なんて訴えるよりは、制限があることを証明できる事実=法律の存在がある方がずっと説得力があるでしょう。まぁもちろん法律の存在と実質的に機密を維持できる程度の能力があるかどうかは別問題なんですけども、しかし、やっぱり建前や説得力という面では役に立つんじゃないかと。
ということで、公文書保全(ひいては公開の道筋をつける為にこそ)とそして外交上の建前、そんな二つの意味であくまで個人的意見としては、「ないよりあった方がマシ」というポジションではあります。案外この辺が真実だったりしないのかなぁと。よく解らないけどあった方が良い決まってる的なジンクスに近いもの。

 要するに情報を開示して、早め早めに世論に相談してゆくしかないのです。そのようにして、世論も鍛えられるということもありますし、そもそも世論と乖離した判断をしなくてはならず、それを60年も隠してゆくのが「結果オーライの統治である」などというのは、変化の激しい現代において何の意味もないように思うのです。

政府はどうして「秘密」を持ちたがるのか? | 冷泉彰彦 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

ともあれ、まぁそれでも、冷泉先生の反論についてはそれなりに頷けるお話ではあります。少なくとも「戦争のできる態勢にしようとしている!」なんてよく解らない論理で街頭で叫んでいる共産党な人たちよりはずっと。そんなこと言ったら自衛隊を持っている方がよっぽどヤバイと思うんですけども、あ、昨今の災害派遣自衛隊の好感度が上がり始めてる以前には同じようなこと言ってそう。
ただこの冷泉先生の評論について書くならば、ぶっちゃけ保身に走る『政治家』を信用できないのと同じくらいには、昨今の大事件や大災害に際しての『世論』を見る限りこちらも同じくそこまで信用できるものでもないんですよね。なのでやっぱりこの法案を巡っての是非を明確に主張することは個人的にはできないなぁと。
世間には「これは必要だ!」「これは不必要だ!」と確信を持って叫ぶ方が沢山いらっしゃるようなので、そうした方々ががんばればいいんじゃないでしょうか。がんばれー。



特定秘密保護法案、どうして「今」なのか? | 冷泉彰彦 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
ちなみに、何故「今」なのか、といえば、それは消費税増税の件と同じく国内政治のタイミングがほとんど全てなのではないかなぁと。
次の選挙まで間があり、そして野党が比較的協力的か大人しくしている今のタイミングしかないだろう、と考えるのは将来何が起こるか読み通せない私たちにとって、まぁそこまで不合理なことではありませんよね。その中身の是非が置き去りにされているではないか、というのは至極ごもっともではあるんですけど。