社会正義や危険性云々というよりは単に先発優位なだけ

だからこそ関心さえもたれない。


マリフアナ合法化は格差を拡大させる | アメリカ | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
そういえば米コロラド州さんちで、今年から大麻マリファナが解禁されたそうで。おそらく大麻というのは既存のそれよりも中毒性や危険性はせいぜい同程度かそれ以下というのが現在の主流の研究結果であり、故に、日本をはじめとする「そうではない」社会でまた是非の論争がはじまることになるのだろうなぁと。
で、こちらのニューズウィークさんちの記事では面白い方向から反対の意見を述べていらっしゃいました。

 常用者になる可能性が高いのは、さまざまな機会を取り上げられてしまった若者たちだ。この数十年の間にアメリカ社会は貧困層が中間層へと上昇するための道を次々と閉ざしてきた。賃金水準は低下し、雇用の安定は損なわれ、高等教育の学費は上がり、両親がそろった家庭は減っている。

 そんな世の中で、さらに「自傷行為」を助長すべきだろうか。麻薬が合法化されたら今以上に社会の上層3分1と下層3分の2との差が広がるだけだ。気がめいる現実から逃避するために、手軽な道を求める若者が増えるだろう。

マリフアナ合法化は格差を拡大させる | アメリカ | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

――故に格差は増大するだろう、と。概ね理解できる論理ではないかなぁと個人的には思います。
それこそ慢性アルコール中毒などの過度の依存が、単純に富裕層よりもストレスを感じる度合いが相対的に多く日々の生活に苦しむ貧困層たちの方が「より」そうした逃げ道に依存することが多いだろう、というのはまぁ現状を診ても解らなくはありませんよね。故に禁止のままにしておくべきだと。なんというか、見事な父権主義的なお話ではあります「それは君に悪い影響を与えるからするべきではない」なんて。で、一方は余計なお世話だとばかりに自由を求める「そんなものは個人の自由に任せるべきである」と。
この大麻の一般使用の是非を巡る問題は、社会正義に関するお話としては大体こうしたベタな所に行き着くのかなぁと。故にその自由と権利に束縛を与えることの正当化を許す社会であればあるほど、大麻合法化への道は平坦なものになるし、そうではない社会では基本的に厳しい道程となる。



さて置き、この大麻解禁の議論について、そもそもに導入に伴うコストの存在があるわけで――というかこれが最大の問題とも言えるでしょう。
現在既にアルコールやタバコのそれが危険性や中毒性があると解っていながらも禁止されていないのは、単純にそのデメリットの多寡というだけでなく、もう既に現状で各プレイヤーによって投資がなされ一般社会に完全に根付いてしまっているその行為を禁止することは、つまり追加で払うべきコスト(あるいは得られるはずだった利益)が、経済的にも政治的にも大きすぎるから、という身も蓋も理由からあるからですよね。それこそアメリカの銃社会が問題があると誰もが解っていながらもそれを容易に解決できないのは、それを実現するだけのコストがどう考えても途方もないことになりかねない、という理由が大きいわけで。
それと同じく逆の構図としては、まったく根付いていないものであればあるほど、定着させる為の(政治的・経済的)コストは大きくなる。仮にアルコールやタバコ「以下」のデメリットしかないとしても、(適法違法問わず)しかし現状の生活において全く縁のない存在であれば、それを容認するだけの心理的ハードルはやっぱり高くなってしまうわけで。賛成派と反対派の議論がめんどくさいことになる大きな理由の一つはやっぱりこうした点にあると思うんですよね。現状維持だいすきな私たち。
――一方で、(こちらも適法違法問わず)大麻という存在がそれなりに身近にあり、合法化のメリットが大きい=公的に管理することで利用者の便益が大きい(非合法故に商品情報の不足によって質の悪い商品を購入することが強いられることが少なくなる)と賛成へのインセンティブも働く事になるんですけど。


単純に社会正義の問題というよりは、逆説的ではありますが「薬にも毒にもならない」からこそ、自由がないことへ問題意識も生まれない。そしてそんな状況を生み出したのは、結局のところ順番の問題でしかない。つまり、酒やタバコとマリファナを比較して見たときに重要なのはその危険性云々ではなく、どちらが先に定着したのか、ということでしかないんですよね。
『既成概念』というのはいつだってそんなものだって言ってしまうと、それで終わってしまうお話。


みなさんはいかがお考えでしょうか?