『テロ』問題をめぐる中国政府の綱渡り

政権批判と紙一重の、責任の所在について。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40120
ということで相変わらず中国さんちでも『テロ』は大騒動だそうで。

敵にテロリストの烙印を押すことの危険

 西側が発見した通り、敵にテロリストの烙印を押すことにはいくつかの危険性がある。1つは、そうすることで魔女狩りを引き起こしかねないことだ。ウイグル人は既に、例えば、新疆の外に旅行した時にホテルで予約を断られるといった差別に不満を漏らしている。

 雲南省に隣接する広西チワン族自治区の警察は週末に、背筋が凍るような警告を行った。「新疆出身の人がここで生活していたり、仕事をしていたり、旅行しているのを見つけた人がいたら、すぐに当局に報告を」という内容だ。

 公平を期するために言うと、中国政府は自警主義の危険性を警戒しているように見える。人民日報は分別のある警告をし、「テロリストに対する怒りを民族への敵意に変えないように」と呼びかけた。

 襲撃者のことを――捕まえられ、処罰されなければならない犯罪者ではなく――テロリストとして扱うことに関係したリスクは、それが人々の態度を二分させかねないことだ。最悪の場合、高圧的な取り締まりが敵意を鎮めるどころか、逆に刺激するという負のフィードバックループを生み出しかねない。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40120

ただまぁピリングさんが――敢えて無視しているのかどうかまでは解りませんけど――問題なのはそんな『魔女狩り』というだけではないんですよね。こうした人びとの自警主義の先にあるもう一つのゴールは、それこそ「何故政府はもっと上手く対応しないんだ!」という怒りの声でもあるわけで。
「テロリスト」の向こうに潜むもの | ふるまい よしこ | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
この辺のお話についてはふるまい先生のコラムの方が詳しくて、

 もちろん、自分がそこでフォローしている人たちの傾向(わたしの場合はジャーナリストなど情報発信に関わる人やアカウントが多い)もあるだろうが、微信には新疆に関して過去読んだことのある記事、あるいはつい最近の出来事をまとめた記事がどんどん流れてきた。そしてそれを転送すると、また友人の中で転送されていく。政府や政府系メディアが自分たちの少数民族政策や新疆政策の失敗、失態に一切触れずに、コトの次第を「無差別」「庶民を標的」「宗教」「犯罪グループ」という簡単な図式へ大衆の怒りを向けさせようとしている時、民間では彼らが隠す現実が伝播されている。

「テロリスト」の向こうに潜むもの | ふるまい よしこ | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

ここに『テロ』問題に際しての、彼ら中国政府の微妙な綱渡りがあるんですよね。つまり、その暴力行為の責任をほとんど一方的に少数民族の側に押し付ける一方で、自分たちの責任については絶対に追及されてはいけない。
そんな少数民族統治の失敗というのは、彼らの面子の問題にほとんど直結してしまうからこそ。
それはつまり、中国政治指導者としての正統性への瑕疵でもあると。故に彼らはそれを無慈悲なテロと断罪する一方で、しかし同時にまた、その事について深く議論されることを臨んでもいないんですよね。


といってもまぁこの辺は難しいお話ではあるんですよね。実際『9・11』後のアメリカさんちでもそれはもうめんどくさい議論が色々あったりしたわけで。アメリカはアメリカで、同じように歴代政権の政策分析について詳細な議論をすることは難しかった。
――といってもそれは上記中国さんちのようなトップダウン言論統制というよりは、むしろ自主規制という意味で。当初はその愛国心の問題から、そしてそれが過ぎ去った後になっても、アメリカ国民は『文明の対立』『宗教戦争』のような議論に容易に踏み込んでしまいかねないことで、彼らの愛すべきポリティカルコレクトネスの名を汚すことを恐れた結果、そうした議論を出来る限り避けようとしていた面は確かにあったのです。

自分たちが今、テロリストの脅威に直面しているということを世界に納得させた中国政府は、中国国外で明らかになっていることに気付くかもしれない。「テロとの戦い」は、不可能ではないにせよ、勝つのが難しいということだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40120

もちろんだからといって「テロがされる方が悪い」と言いたいわけでも、あるいは喧嘩両成敗的なことを言いたいわけでもなくて。ただ、どちらにしても『テロ』という次元に至るまでになった根の深い問題というのは、必ず、歴代政権のあまり愉快ではない政策の失敗と直面することになってしまう。アメリカでは矛盾に満ちてきた中東とイスラエル外交政策であるし、中国ではそれが少数民族の人権問題だったりすると。
彼らを『テロリスト』と呼ぶことのリスクについて。「ならばなぜ自分たちはテロをされたのか?」という当然生まれる疑問。実際、あの『9・11』以後のアメリカではそれはもう雨後のタケノコのごとくイスラム関連の書籍が出まくったわけで。そして多くの場合でそれは、テロリストに責任転嫁するのと同じかあるいはそれ以上に米国政府への批判も避けられなかった。


やっぱり中国さんちの『テロ』問題というのは、彼らの政治体制維持という面から見ても、危うい綱渡りだなぁと思う所ではあります。