『3・11』以来、「自分の頭で考える」ことをはじめてみた私たちがたどり着いた場所

あれから10年。


震災10年…被災地に残る5つの課題と「情報災害」 被害の検証どころか「なかったこと」に 福島在住ライター・林智裕氏寄稿 (1/3ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト
ということで「あれから10年」であります。

東日本大震災東京電力福島第1原発事故から11日で10年となる。福島県では避難地域の復興が進み、食の安全も確認されているが、デマや偏見による「情報災害」との戦いは続いている。同県在住のライター、林智裕氏が寄稿で、10年間の変化と現状について、5つの課題を検証した。

震災10年…被災地に残る5つの課題と「情報災害」 被害の検証どころか「なかったこと」に 福島在住ライター・林智裕氏寄稿 (1/3ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト

ほとんど克服できたこともあれば、未だに尾を引いていることもあってまぁ当事者である私たちとしては色々とジレンマがあるよねえ。
――きっとそれを知らない将来の若い世代からは、それこそ今を生きる現代人たちが戦前戦中のバカな日本社会の出来事を見るのと同様に、何であんなバカなことしたの??? と素朴に聞かれてしまうのでしょう。
かなしいなあ。でもどうしようもなかったんや……。


ともあれ、個人的に興味がひかれるのは、おそらくこの記事の論旨でもあろうこの部分かなあ。

 最後に、今も解決できていない問題を強調しておきたい。「安全」は十分に確保できた一方、「安心」の問題が残されている。

 政治問題化した原発事故には「情報災害」というべき側面が生まれた。プロパガンダを用いた情報戦が繰り広げられ、広まったデマと偏見がさまざまな政策実現の障害になっている。つまり「情報が足りない」という以上に「虚偽や粗悪な情報の過多」にその一因がある。カタカナ表記の「フクシマ」が象徴的だが、これらには特に「リベラル」系メディアや著名人らが加担してきた。

 情報災害については10年経っても被害の検証どころか、「なかったこと」にされている。その後の豊洲市場移転問題やHPVワクチンへの不当な不安扇動に続き、現在の新型コロナ禍でも同じ構図が繰り返されているといえるだろう。

震災10年…被災地に残る5つの課題と「情報災害」 被害の検証どころか「なかったこと」に 福島在住ライター・林智裕氏寄稿 (1/3ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト

先日も「あの」朝日新聞「福島県民がん増える可能性低い」 被曝線量を下方修正:朝日新聞デジタルという記事を出したことでちょっと盛り上がってましたけども、まぁ概ね安全であるということはほぼ確実でもあるわけでしょう。
吉田調書から随分遠くにきたものだ。


しかし実際に安全は確認されても、多くの私たちは安心できない。
なぜなら外ならぬ私たち自身がそう考えているから。
トートロジーかな?
こうした構図の根本にあるのは、やっぱり当時の政府の混乱などによって情報が錯綜した結果として、私たち日本人の誰もが、自らと自らの家族を救おうと「自分の頭を使って」考え情報を集めようとした帰結だとは個人的に思っているんですよね。
「自分の頭で考えている」故に、私たちは安全だというニュースをただ見ても安心はできない。




この構図で面白いのは、そんな風に「自分の頭で考え」「ニュースを疑う」ことってほとんどそのまま陰謀論にハマる仕草そのものでもあることでしょう。
別にそれが悪いと言いたいわけじゃ絶対にないんですよ。
それどころか、むしろホロコーストの歴史についての専門家であるティモシー・スナイダー先生なんは、全体主義への抵抗に必要なのは「自分で調べ、自分で物事を解き明かすべきだ」と指摘しているほどであります。
それは私たち市民が、独裁や暴政への抵抗手段として最も重要な原則の一つであると。
本邦でも、反政権運動としてヒトラーなアベ・シンゾーを追い落とそうとする人たちは、揃ってそういう言説で対抗しようとしていたわけでしょう。
強固な空気である自民党支持に流れるのではなく、自分の頭を使って投票しよう、なんて。




ところがぎっちょん、私たちは専門家の知見よりも「自分で考える」ことを優先してしまうと、まぁ愉快なことに陰謀論にハマってしまうことにも繋がってしまうんですよね。
Qアノンや反ワクチンなどの陰謀論な人たちが、まさに誠実な専門家やニュースすらも疑い、自分の頭で考えた結果ああしたバカな行動に走っているように。

「情報が足りない」という以上に「虚偽や粗悪な情報の過多」にその一因がある。

つまり上記で指摘されているような『情報災害』が起きたのは、単純にリベラル系メディアの罪であるというだけでなく、視聴者自身がそれを望んだ結果でもある。
私たちが真摯に自分の頭で考えようとした結果が、虚偽や粗悪な情報=フェイクニュースが広がる温床になっているんじゃないかと。

  • ひたすら機会主義者なマスコミは、そうした私たちが見たいと思っているニュースを流しているだけ。
  • あるいは、ひたすら社会の木鐸であるマスコミは、そうした「自分の頭に考える」為にと良かれと思って虚偽や粗悪な情報を流しているだけ。


「自分の頭で考える」からこそバカげた陰謀論に走ってしまう私たち。
かといって、ただただ政府公表や専門家の意見やニュースを聞いているだけでは、いざというとき自分の頭で考えられない私たちは悪い政府の言いなりになり、アーレントの言うアイヒマンのような『陳腐な悪』に加担してしまう。


結局、ありきたりな結論ではありますけど、正解はその中間部分にあるということなのでしょう。
そのちょうどいい具合な落としどころについて簡単に語ってくれる人はまったく見当たりませんけども。
それこそ自分の頭で考えるしかない。
――しかしそれ故にまた陰謀論にハマってしまう私たち。いやあニンゲンってかなしい生き物よね。
さっさと誰かが全ての人間に叡智を授けてくれればいいのにね。


「自分の頭で考える」ことと『陰謀論』の、悲しいまでの親和性について。
自分の頭で考えているつもりのみなさんはいかがお考えでしょうか?