天安門がもたらした『中国価格』というグローバルスタンダード

世界中の労働者への呪い、世界中の消費者への福音。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40885
まぁ現在の状況の多くが、あの天安門から全ては始まった、というのは概ね同意できるお話かなぁと。中国という巨大労働市場が目覚めた瞬間。それはよくも悪くも私たちに影響を与えないわけがなかった。

 経済的な観点からすると、これは中国人にとってよいことだった。格差を拡大させたものの、利益が広く分配されたからだ。だが、先進国の多くの労働者にとっては、まるで、より安い賃金でより長時間働く気がある全く新しい労働力が現れたようなものだった。彼らの交渉力はそのショックから回復することはなかった。

 「一消費者としての個人にとっては、素晴らしいことだった。製品とサービスが大幅に増え、選択肢が大きく広がり、すべてが以前より安くなった」。MGIのディレクター、ジェームズ・マニカ氏はこう言う。「限られたスキルしか持たない労働者にとっては、かなり悲惨だ。彼らはかつて保護されていたが、今では自分たちより安く、もしかしたらスキルの高い人たちと競争している」

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それこそ次の「世界の工場」を期待されていた国――東南アジアや中南米やら――は結果として、中国のあまりにも強力な競争力=中国価格に対抗できないまま駆逐されてしまった。もちろんそれは巨大な人口という規模だけでなく、そもそも法遵守の概念すら薄い彼らの手段を選ばないやり方――ぶっちゃければ『偽造』という要素もあったりするわけですけど。
単純に規模だけでない、という点がこのお話が救いようのない点であります。つまり彼らは過剰残業、賃金不払い、劣悪な労働環境、環境汚染を生け贄に捧げることで、その勝利を「より」確実なものにしてきた。もちろんそれは私たち日本が経験したように、産業革命の先駆者であったイギリスからずっと続いてきた風景でもあります。劣悪な労働環境を誤魔化すために監査を偽造するのだって昔からあった。ただ、だからといって現在の中国のそれが「比較して」よりロクでもないことになっている点を指摘しないのもフェアではありませんよね。つまり、元々経済成長のみをひたすら重視することのできる中国共産党政府の下では、ずっとそうした偽造はやりやすかった。そのような中国に、過去30年以上、同じ土俵で戦う世界中の労働者たちはほとんど為すすべがなかった。
――しかし、それが単純に不幸な出来事だけだったのかというと、やっぱりそんなことなくて。
彼らのそのあまりにも強力な競争力は、結果として価格の多くを(他国ではマネできないレベルで)押し下げまくった。それはまぁ日本に住む私たちにとっても、恩恵がなかったとはやっぱり言えない。天安門のおかげだというと、ものすごく皮肉なお話ではありますけど。


あの天安門は、『中国価格』という労働者への呪いであり消費者への福音の、はじまりだった。




さて置き、問題は「この後」なんですよね。つまり、昨今の中国観測でしばしば言われているようにそろそろ成長物語のゴールは見えつつある。それは単純に内陸農村から沿岸部に無尽蔵に湧き出していた労働人口が枯れつつあることでもあるし、同時にまた中国内陸部ですら賃金上昇はもう避けられなくなりつあることでもある。
是非はともかくとして、どちらにしてももう圧倒的で破壊的な競争力をもっていた『中国価格』の維持が難しくなってきている。もちろんそれは労働者としての私たちにとっては今度は逆に福音となるでしょう。しかし消費者である私たちにとっては?
これまでお買い得だった価格が元に戻る。私たちはそれを受け入れることができるのか? 
しかしそれをどうにかして持続しようとすることは、呪いが続くことも意味しているわけで。


『中国価格』の後継者は現れるのか? 
それはやっぱり呪いであると同時に、福音でもあるのだろうなぁ。